KenzOasis

aftersun/アフターサンのKenzOasisのレビュー・感想・評価

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
3.5
ひりつく日焼けは「痛ェ!」とは思いつつも、楽しかった思い出の証明にもなる。記憶を思い出すことが当時の痛みをぶり返すこともある。悲しみと喜びは表裏一体で、常に存在している。

「カメラの焦点が定まれば、明るさは自動調整される」という印象的なセリフに始まる本作は、一夏の数日をトルコで過ごした親子の物語。

ビデオカメラを互いに向け合い仲睦まじく過ごすけれど、そこには父カラム(演:ポール・メスカル)が抱えていたであろうこと、娘ソフィが見つめていたもの。表裏一体の悲しみと喜びが見え隠れする。

劇中のセリフにあるように、彼らは「同じ空の下にいてつながっている」けれど、彼らの感情は絡み合うことなく空を舞う。そんな儚さや分からなさを抽象的なままで、美しいブルーの画で語っている映画だった。

主演を務めた2人の繊細な表情の移りゆきはすごく良かった。絶妙な感情のブレを感じさせてくれたし、それがこの作品について深く考えるきっかけを与えてくれていると思う。「じゃあ、心のカメラで撮るから」というのがアドリブから生まれたなんてのもすごいな。


-------以下、ネタバレです



シャーロット・ウェルズ監督はインタビューで、「私のすべての作品は悲しみを纏っており、いずれも内なる「もがき」を描いています」と語った。

カラムが思わず逃げたくなった“Losing My Religion”と、これが最後だと言って踊った“Under pressure”の使い方をそのままの意味で受け取ると、
かつてカラムは恋か、あるいは信じていたものを失い、感情と向き合えなくなったんじゃないかと思う。

若くして子を持ち、常にプレッシャーに晒されてきて、とことん苦しかったのかもしれない。希死念慮が付きまとっていたのかもしれない。

人生はやたら大きく、カメラのように簡単に焦点を合わせられないし、合わせても適切に明るくならない。

愛くるしい別れのシーンのあと、ドアの向こうがダンスシーンのように明滅していたように見えた。

カラムは爆発する感情に飛び込んだ=希死念慮に身を任せたと考えてもいいと思う。

これらの悲しみは、一夏をともに過ごしたソフィの視点からだけでは見えなかっただろうし、考えが及ばず理解もしきれなかっただろう。でも同じ年になった今ならわかりそうな気がする。だから大人になったソフィはビデオを見返していたんじゃないかな。
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