マインド亀

aftersun/アフターサンのマインド亀のレビュー・感想・評価

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
4.5
親になって寄り添う、あの時の親の気持ち。

●今は亡くなってしまった父親の記憶を思い出すとき、「あの時父親はなぜムキになって怒ったのだろう」とか、「なぜ悲しそうにしていたのだろう」とか、子供の時のその鮮明な情景とともに記憶に残っているシーンが私にはいくつかあります。
その時はビデオカメラは無かったのですが、記憶には鮮明に覚えているシーンでした。
この映画はそういった記憶の断片を繋いだ映画です。
皆さんは両親の思い出で、聞くことができなかった、その時、その場面の両親の不思議な行動や表情や言動はありませんか?

●美しく、優しく、そして常に死への誘惑を感じる、哀しくて希望に満ちた映画でもありました。
ビデオの記録と、ビデオの外の現実と記憶、そして想像と心象風景の全てがフラットに映像に溢れてくるため、何が伝えたいのかを知る(感じる)にはなかなか難しい映画ではありますが、語りすぎないところに余韻を残し、そして想像力を掻き立てられる素晴らしい作品でした。
パーソナルで内向的で、全く言葉にされない父親の葛藤や、聡明な娘ソフィの父への愛情や性への目覚め(クィアな目覚めも)なども断片的に観せてくれるのですが、その一つ一つの豊かな映像表現にいつまでも浸っていたいと思いました。

●ところで、「アフターサン」とはなんでしょうなあーと思い調べてみたら、日焼け跡に塗る保湿ローションのようなものだそうで。父カラムがソフィにアフターサンを丁寧に塗ってあげる微笑ましいシーンが何度も出てきますが、恐らく大人のソフィが負った(恐らく父親の死に対する)心の傷を、ビデオ映像を観て想像で父親の心の動きを追う事によって癒やして行く行為のメタファーなのでしょう。
大人のソフィが知るのはビデオに映った部分と、その時体験したことの記憶で補える部分しかないはず。ですが映画の「神の視点」から観ることができる私達は断片的につなぎ合わされた映像で更にソフィと父親の関係性を客観的に観ることができるのです。冒頭の、父親に「11歳の時にどんなおとなになると思ってた?」と聞くシークエンス、これが中盤で、撮影を中断して本来観ることのできない続きを観客の我々は見ることができるのです。しかも撮影中のビデオをテレビに映しながら更にそのテレビのモニターの反射に映る二人を観るというとんでもない鏡面使い!もうこのシーンだけでクラクラ来てしまうくらい、この映画のとんでもなさを思い知ることができます。
大人のソフィは必死に思い出し、父親の心の声をかき集め、最後にようやく死んだ父親の心を抱きしめることで、ある種の呪縛から希望を見出そうとしていたのかもしれません。

●この映画は、どのシーンをとっても印象に残るシーンしかなくて、それを挙げれば切りがありません。
特にあのソフィの気まずいカラオケシーン。もうこれは観ていて首をかきむしりたくなるくらい観ていて辛かったです(笑)
そして、ソフィのあの誕生日ソングのプレゼントの後、一人で泣きじゃくる父カラムのシーン。
また、撮りたてのポラロイドフィルムに浮かび上がるツーショット。こんなに丁寧にポラロイドフィルムを映すシーンって、過去にありましたでしょうか。
レイブシーンで何かに取り憑かれたかのように踊りまくり、ベランダの柵に立ったり、うがいを鏡に吐き出したり、絨毯に取り憑かれたりする、深い悲しみに堕ちているカラムてすが、ソフィと一緒にいる時は楽しく喜びに満ちています。(父親としてめちゃくちゃ難しいですが、子供の自立に全信頼を置いている素晴らしい父親だと思いますし、思春期に近いソフィにとって大好きな父親でいられるのも稀有な父親像だと思いました。)
監督はインタビューで語っていますが、悲しみと喜びの相反するはずの感情が、矛盾せずに存在し得るということを描きたかったそうです。
とても一元的には語ることのできない父親の複雑なキャラクターですが、言葉で語ること無くソフィの感情や視点に近づいて描くことで、我々観客はソフィと同じように記憶の断片をたどり、父親への思いを同じように巡らすことができるのです。本当に豊かで美しく、そして死の匂いと希望に満ちた素晴らしい大傑作だとおもいました。また何度も観て、ソフィの記憶と、自分の親の記憶に浸りたい、そんな特別な一本になりました!オススメです!
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