k

⻘いカフタンの仕立て屋のkのレビュー・感想・評価

⻘いカフタンの仕立て屋(2022年製作の映画)
5.0
冒頭、まるで影と光を司る海のように美しい布をカメラが捉えている。そしてその布を慈しんでいる人の目を、観客は鮮明に知ることとなる。

「これからこの布と共に私たちは物語を紡ぎます、あなたはただ感じるだけで良い」と言われているような、息を飲む一時。

布の青は、ペトロールブルーと呼ぶらしい。

モロッコ、海沿いの旧市街。そこに小さなカフタンの仕立て屋があり、25年連れ添った夫婦のミナとハリム、突然弟子入りした優秀なユーセフが慎ましく伝統を守っている。
スクリーン越しにも伝わる職人技の輝きは、幼い頃から洋服に魅了されてきた私にとって、宝石のそれのように感じられた。
後にこの輝きが、映画史を彩るほどの力を発揮するという微かな予感を、心の深いところで勘づいていたのかもしれない。カフタンの美しさに何度も胸がギュッとなった。

そんな美しいカフタンを仕立てるハリムにとって、ミナは彼の妻であり、母であり、父であり、親友であった。その強い眼差しには、「ハリムを守るためなら何者にでもなれる」と言わんばかりの壮大な愛が宿っている。
そんな彼女でも、病に身体を蝕まれていき、夫婦はただ寄り添い合うことしか出来なくなっていく。
「一緒にいたい」ただ寄り添うことこそが、これまでの25年を包み込む最良の生き方であったことは間違いないだろう。子どものように笑い合う2人をみているだけで泣けてくるのは、悲しいからじゃ絶対になかった。

「愛しています。」
ミナとハリムがお互いを解放し合うために、ユーセフは天使のごとく舞い降りたのかもしれない。

ハリムはずっと、自分が同性愛者であることを隠して生きてきた。
モロッコでは同性間の性行為が刑罰の対象であり、同性愛は現代でもタブー視されている。(世論はどんどん変わっているらしい、当然だが)
物語の序盤から、ミナとハリムの愛よりも、ハリムとユーセフの愛の方が眩しく映る。見つめる眼差し、触れ合う手と手。
優しさ、温かさ、弱さ、愛おしさがひしひしと伝わってくる。

恋の悲哀は、お互いを求め合う2人に必要ない。愛する人を見つめることと、カフタンの細部を見つめることは、たくさんの共通点があるだろう。ハリムがユーセフに教えることは、仕立て方だけではなかったはず。思い出すセリフのひとつひとつ、愛し合う2人に必要なこと、そんな風に思えてくる。

そして何より素晴らしいのが、ミナとハリムとユーセフの3人が一緒に食事をしたり、ダンスをしたり、心の繋がりが深まれば深まるほど、3人は解放されてゆく。
愛する者を解放し合うことこそが、最大の愛情なのだと教えてくれる。思い出すだけでも涙が出るほど、愛の強さが染み込んでいる。

伝統への敬意と人を抑圧する信仰へのアンチテーゼが見事に昇華されたラストの3人の姿は、先程少し触れた通り、映画史そのものを彩る力があった。
美しい陽の光に照らされた姿を忘れられない。こんなにも心が呼応する映画体験はなかなかできない。

パンフレットを読んで知ったのだが、この映画は段々色のトーンが明るくなってゆくように編集されているらしい。泣いていて気づかなかった。
台詞や眼差し、仕草だけで、スクリーンに映し出されていない背景を想起させてくれる演出には終始感動していたが、まさか色でも…!

ミナの病による苦しみで観客の涙を誘うことは一切せず、むしろだんだん物語は明るくなってゆくのだ。そうだ、本当の自分で、愛し合うことができてゆくのだから。

この映画は物語やキャラクター造形だけでなく、色や音、景色など、全てが必要不可欠なピースとして完璧なマリアージュを生んでいる。
映画とは総合芸術なのだ、と改めて畏怖の念を抱く。
本当に、全てが完璧だった。私は観て、触れて、感じて、涙することに精一杯で。満たされるとはこういうことを言うのだろう。

愛とは、一体なんなのか───。

一生かけてもわからないはずなのに。その答えが、この映画には詰まっていた。
私はもう迷えない。この映画が愛の有り様を雄弁に物語ってくれるから。

「愛することを恐れないで」ありふれた台詞がこれほど響くのは、やはりこの言葉が真実だからなのか。
k

k