ヒサオカケイコ

怪物のヒサオカケイコのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

2時間ずっと泣きっぱなしだった 気を抜くとまたしんどくなってしまう(ただ校長室のシーンは喜劇のようで笑ってしまった)個人としては誰も怪物じゃないよと言いたい 怪物は空気なんじゃないか 家庭を持つことが幸せだという認識だったりLGBTのタレントを面白いものとするとか近所の噂話だとか 校長先生の言葉が良かった ご飯を食べておいしいと思うこと、朝日を浴びて気持ち良いと感じること、そういうことでよかったはず まずは自分の中にいる怪物に食い殺されないようにしたい


「人に言えないから嘘ついてる。お母さんにも嘘ついてる。幸せになれないって、バレるから」
「そんなの、しょうもない。誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。しょうもない、しょうもない。誰でも手に入るものを幸せって言うの」
「君は敵に襲われると、体中の力を全部抜いて諦めます」「痛みを感じないように」

ブタのカードで「わたしは空を見上げることができません」っていうのが坂本裕二先生〜!ってなりました

メモ:自分の中に芽生えてしまった、自分でも理解できない自分の感情とか存在を、「怪物」だと思ってしまうという感情とか行為というのは、色んな所で色んな状況に置かれた子供たちの中で起きているだろうなと思っていて。多分さきほど坂元さんが「孤独な人」といった人達だと僕も思っています。その子たちを、孤独な状況に追いやってしまっている私たちっていうものを、要するに彼らから見れば私たちの方が「怪物」であるという、この私たちが彼らに見返されるというスタンスを、どういう風に映画の中に描いていくかということまでやるべきというのを見失わないように作った

自分自身を好きになれない、好きにさせてもらえていない人たちのことを書きたい

加害者がどのようにすれば被害者の存在に気づくことができるか。私たちは被害ということに対して自分自身よく考えることがあるんですが、自分自身の加害という行為に関して考えることは難しい、気づくことは難しい。それをどうすればいいんだろうかということが坂本さんの長年のテーマ

常に人と人は対話をしながら、そこに誤解が生まれ、争いが生まれ、分断が生まれています。しかし、同時に言葉には、愛情を伝える力がある。その矛盾した存在である言葉と、私たちはどのように付き合っていけばいいのか。