3時間の中で考えることがたくさんあった。
まずは「芸術家だな」と思った。
そして「物凄く利己的な人だな」とも思った。
彼女が創る作品は力強く、魅力を感じるのは確か。
かつての自分の作品を眺め、得意げに明るい声色で工夫や出来映えを語る彼女は非常に利己的な芸術家と私には映る。
「自分が生み出した作品に対して責任を感じるか?どう思うか?」の問いに、晩年になっても「私はただ素材を最大限活かした作品を作ることだけを考えていた。世間だってみんなナチスに熱狂していた。悪意なんか私は持っていなかった。ただ純粋に芸術を愛し作品を作った。そんな私に罪はありますか?みんなだって同じでしょう?(意訳)」という回答ができるのはある意味すごい。強い。
最初からあの回答のような考え方だったのか、それとも世間が彼女に浴びせた声・貼ったレッテルを思えば、ああやって自分自身に言い聞かせてそれを頼りとしないと、生きてこられなかった結果なのかは本人にしかわからない。
映像を見る限り、彼女は頭が良い。
全くもってバカじゃない。
器量がよく頭も良く行動力があり才能も持ち合わせている。そんな人間があの立場にありながら、政治に全くの無関心ということがあり得るのか?
それは流石に無いだろう。と勝手に思ってしまう。
無関心ということはない。映画を撮ることをチャンスだと捉えていたとしてもおかしくない。映像作品に求められているもの、役割も理解していたんじゃないか。
ただ一方で、多くの群衆があれだけナチスに熱狂してユダヤ排斥は正しいと叫んでいる只中にいて、そんなのは間違っているという視点が果たして持てるだろうか?
そこまでの聡明さは彼女からは感じられないと私は思った。
何れにしても、我々は離れた場所から過去を見て、全ての結末を知ったうえで「あり得ない」と非難している。この立場で批判をするのはそりゃあ簡単だ。
仮に私が彼女に「責任を感じるか?」という問いをする時があれば、そのことは忘れずに彼女と対峙したい。
2025年12本目