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せかいのおきくのEyesworthのレビュー・感想・評価

せかいのおきく(2023年製作の映画)
5.0
【糞と味噌と世界】

阪本順治監督×池松壮亮×黒木華×寛一郎×佐藤浩市によるユーモア満点の時代劇。

〈あらすじ〉
激動の江戸末期。寺子屋で子供たちを教えるおきくは、雨宿りをする紙屑拾い中次と、下肥買いの矢亮に出会う。武家育ちだが、長屋で質素に暮らすおきくは、懸命に生きるふたりと徐々に心を通わせていく。しかし、おきくはある日、喉を切られ声を失ってしまう…

〈所感〉
いわゆる「クソ映画」はありふれているが、正真正銘本当のクソ映画はこの作品くらいだろう。たった90分の映画だが、最初から最後まで糞を運ぶ汚穢屋の矢亮、中次の生き方から260年と広範に渡る江戸時代の一片を覗いた気がした。モノクロ映像だからこそコメディとして見られるという素晴らしいアイデア。そして、あの頃も間違いなく空の色は青だったし、うんこの色は茶色だったとわかるチャプターのラストのカラー映像に切り替わる演出にハッとさせられた。なぜか過ぎ去られし日本史は灰色に埋もれているように見えるが、確実にカラフルであったことに気付かされる。江戸時代と糞尿という題材が素晴らしく、排便について初めてちゃんと考えさせられた。人が当たり前のように糞尿を運んでいたなんてやはり信じられない。それが今やウォシュレット大国である。良い映画は積み上げた固定観念を揺さぶってくる。食事は本来肛門から出して初めて食事なのだ。あくまでそこはセット。糞も味噌も一緒である。そう考えると食べることは糞を出すことだし、糞を出すことが世界を生きることの何よりの証左である。生きている限り我々は後世に便という遺産を残し続けていく。それが結果的に新たな生命の肥やしとなる。食事即ち世界なのだと思った。「世界」という言葉が一般に流通していなかった江戸期に「世界で一番君が好きだ」という重み。中次の言葉は世界に反響し、きっとおきくに届いている。クソの役にも立たないと思われる人が世界を作っている。コロナ禍のエッセンシャルワーカーみたいだ。池松壮亮演じる矢亮のクソみたいなギャグだが、物語が進むにつれリアリティが増し、笑いを促し、食欲を激減させる。この映画を見終わったあとに、普段なら篭もり気味の大腸がこれ見よがしに稼働し、最大級の便を世界へと放出した。感謝である。クソ喰らえ。
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