いち麦

君たちはどう生きるかのいち麦のネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

元々、宮崎駿の人気作は殆どソフトも揃えているくらい監督の作品は好きなのだけれど、この作品だけはタイトルの尊大さと公開前・直後の商魂逞しい情報規制キャンペーンの不快さもあって長らく避けていた。長編アニメ前作の「風立ちぬ」が合わなくて慎重になっていたのもあったと思う。でも今回のアカデミー賞受賞がきっかけで劇場公開中に鑑賞しておこうと考え直した。
なるほど、確かに鑑賞中に涙した方や何度も劇場へ見に行かれた方がいらっしゃったことも納得。前半部分でしっかり現実を捉えた描写になっているので、後半部分では自由に想像を広げたり咀嚼したりさせてもらえた。現実世界から精神世界への滑らかな移行は宮崎駿ならではのもの…とても巧みで素晴らしい。芸術性の高い作品でアカデミー賞受賞も大いに納得した。

亡くなった母・ヒサコが病気で入院中にも、既に父・勝一は自分の軍需工場移設に託けて夏子と通じていたことが経過時間や2人の屈託のない親密さから窺える。疎開先で初めて会った夏子は既に父・勝一の子を宿しており、当然眞人は本音では到底夏子を受け入れることなどできるはずがない。眞人の怒り渦巻く心のうちは僅かに悪意に塗れた自傷狂言に表れただけ。そんな少年が心の葛藤を経て夏子やその腹の子を受け入れていくまで、心の平穏を得るまでの精神世界と心の成長を映像表現したのが、後半部分のファンタジーだと思った。

「母・ヒサコは何処かで生きているのではないか?」という少年自らの心の叫び声を代弁するかのようなアオサギの誘導にしたがって足を踏み入れた場所は、死にいく者と生まれ出る者が去来し身を潜めている不思議な世界へと通じていく。夏子の存在が許し難いがため自分が無意識のうちに彼女をこの世界へ追いやってしまった(瀕死の状態にしてしまった)。そのことを密かに心に押し込めている眞人。その夏子を見つけ出し連れ戻すことは、この継母の存在を受容することを意味する。
母方の大伯父からは現世から離れ善意など良心だけで心の均衡を取ることを強く勧められる。大伯父のいう“世界”とは人の心の内のことであり、もっと言ってしまえば一族の拠り所とする心、少年・眞人自身の心そのものではないだろうか。石の欠片は恐らくこの世界に転がっている、死んだ者たちの墓石が砕けた夥しい数の欠片で、それぞれに様々な感情が宿っているものと思われる。それらのうちで大伯父が積み上げる悪意で汚れていない清らかな積み木は心の安寧と平穏を築くために必要な“許し”や“善意”といった、心の構成パーツなのだと思う。大伯父は心の安寧が永劫続くことを求めて一人世俗から逃避し積み木を積み上げ自分の世界に篭りきりとなった。眞人にも、(自分のものよりも数多い)13個の清らかな積み木を用意しそれを求める。だが、眞人はこの世界で見た、若き日の逞しい母(ヒミ)の姿や、悪意の化身とも思われる大魚と格闘し続けているキリコ(眞人と同様に”悪意”によって付けられた傷跡がある)の姿に勇気づけられる。そして眞人は大伯父の後を継がず、人の心に渦巻く様々な感情と自分自身で向き合う覚悟を決め、夏子を連れ現実世界へと戻っていく。…と、こんなことを自分は想像した。

宮崎駿監督は主人公・眞人の心情をエディプス・コンプレックスと称しているが、自分にはもっと個人的な境遇からくる継母への感情のように感じられた。父親への感情は寧ろ殆ど封印されてしまっている印象を受けた。

画についていえば、多くのキャラクターの造形やヌルッとした動きなど宮崎アニメらしさ満載。特にアオサギ〜サギ男のトランスフォーメーションがとてもユニークで惹かれた。ただ、異世界を象徴するその意図は分かるのだが、インコの群れの色使いは少々フラットに見えてしまった。画全体の美しさでいえば最近は既に他の作品たちに追い越されてしまった感じがするが、ただ、最初の方で眞人が火事の中を母親のもとへ駆けていく横スクロールのアニメーション映像は明暗のアクセントが際立ち素晴らしかった。

さて、このタイトル。吉野源三郎の小説から取ったものとのことだが、どうなんだろう。監督自らの体験を元に少年時代の心の葛藤と向き合った個人的な心情告白ものながら、上から目線で「君たちはどう生きるか」と言われているような気分で何だか居心地が悪い。映画を見たあとでさえ、やはりタイトルが好きになれない。英題 “The Boy And The Heron” の方がずっと慎ましくていいと思うのだが。
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