ヤマダタケシ

君たちはどう生きるかのヤマダタケシのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

2023年8月 OZで
・まず冒頭から度肝を抜かれた。空襲の中、母が入院している病院まで走って行く主人公
 の目に映る景色がまるで陽炎のように揺らめいて見える。これはかなり主観的な映像と
いうか、主人公から見た混乱と恐怖がそのままアニメになっているような感じである。
└これ以降の演出についても今作かなり感覚をそのままアニメにしたような演出が随所に見られる。そもそも今作が神隠しの話であり、〝向こう側〟が見えてしまった人物の話である。そのため塔の中に入るまでのパートでは現実に幻想が入り込んでくるような、あくまで主人公にだけ見えている・感じられているものとして奇妙な出来事が起こる。
→だから、例えば主人公が水の中に落ちて行く幻想的なシーンから、そのまま水が引いてベッドの上にいる=現実というような、幻想と現実がシームレスに繋がっているような演出がなされる。
→また、今作気になる点のひとつであるが、戦中の日本に生きる市井の人々に対し、主人公家族だけが高貴すぎるというのがある。それはビジュアルとしても完全にそうで、主人公家族のビジュアル、特に主人公と母親の顔が美しすぎるくらいに描かれるのに対し、使用人の顔や主人公をリンチする同級生の顔はもう少しパーツが簡素というか抽象的に描かれている。つまり、中心で描かれる重要な事に対し、そうでないもの、できごとが背景になっているのだ。それは正直、今作の風景、本当の背景画についても同じことを思った。今作の背景は美しいのだが、少し抽象的というか何か絵画のように見えた。

・以上のように今回の作品は今までの駿作品の中でも特に抽象度が高い話のように思えた。それは〝向こう側〟に行ってからがより顕著で、あらゆるものが何かのメタファー、寓意を持ったものとして現れてくる。
└その中でも特に印象的だったのが、ポニョで行ったのと同じ画面に大量に同じモチーフを並べて動かすことで、その群れ自体が何か大きなうねりのように、同時に抽象的な模様・モチーフのように見えてくる点である。今作のペリカン、インコの群れはまさにそれを思わせたし、延々と並ぶ扉、回廊もそれを思わせた。

・今作、公開前の予想でナウシカ2をやるのでは?みたいな意見がいくつかあったが、それはあながち間違いでは無かったと思う。何故なら今作大叔父様と対峙した主人公の出す結論は漫画版ナウシカにおけるナウシカの答えと同じだからだ。
└墓石を積み上げる事によって維持される整理された世界を否定し、主人公は血と肉、殺生でまみれた混沌の世界をこそ人間の世界として肯定する。
→だから今作で主人公はナイフのとぎ方、弓矢の作り方、魚のさばき方などやたら殺生にまつわる動きを学んでいく。
→同時に、人間になる前のすみっこぐらしたちと、それが天に昇る=人間になろうとする瞬間にそれを食べようとするペリカンたちの関係を描く事で、生きると言うことは誰かの命を奪うことだ、というのがこの世界の理であることを描いて見せる。
→〝向こう側〟の世界は抽象的な世界であるが、常にお互いに食べる側・食べられる側になる世界として描かれている(主人公もインコたちに食べられかけられる)。その上で描かれるフード描写は単においしそうというのでは無く残酷性と合わせてのものだったと思う。
→これはナウシカにおいて、ナウシカが生まれる前に死産した5人の兄弟・姉妹がいたというエピソードと重なる。つまり自分が生きているという事は、常に誰かの死の上に成り立っているのだ。
└その上で、今作はナウシカと同じ暴力の中で傷つき、奪い奪われながらも生きて行く事=現実を受け入れるラストになっていたと思う。
→その上で今作は戦後日本の話でもある。しかし、それはこれが現実の戦後日本として描かれているというよりは、もうひとつの戦後を生きて行くような、もう一度戦後に立ち返ってやり直すような感じすらした。

・観客が察して見ないと主人公や他の登場人物の感情が分からない作りになっていたと思
 う。それはこの時代に生きる人々というのが起こってしまった・決まった事に対し、ツ
ラくても表面上は気丈に受け入れるしかない。
└母を亡くした喪失感も癒えぬうちに、父は母とそっくりな叔母と再婚し、主人公はなんなら父と叔母の性的な場面も見てしまう。
→叔母を、母と呼んだり叔母と呼んだりするのは主人公の中での受け入れがたさと受け入れたさの表れだと思う。
└同時に叔母の主人公に対する受け入れがたさも、その理由が明確に描かれるわけではない。しかし、もしかすると主人公を見る時に浮かぶ姉の面影や、姉妹で父を取りあったような過去、複雑な思いがあるのかもしれない。それはセリフや場面で説明はされないが、しかしされないからこそ観客に想像することを要求する。

・過去駿作品は強く連想する作品になっている。先ほど書いたようにナウシカもあるが、親の都合で違う土地に連れてこられた子供がその裏庭で異世界に通じる場所に入ってしまうという点はトトロであるし、神隠し自体を指して言うなら千と千尋でもある。
└詳しくは描かれないが、戦時下にも関わらず戦闘機を作れることがうれしくてたまらず、活力がみなぎっている様に見える父はある意味『風立ちぬ』でもある。
└遠くに浮かぶ船の群れは紅の豚の飛行機の墓場を思い出す。


・ばあやたちが完全に七人の小人。