カラン

スナイパー コードネーム:レイブンのカランのレビュー・感想・評価

3.5
こういうご時世だからね、ウクライナのなんとかいう助成金を受けて作られたこの映画を応援してやりたい気持ちはありありなのだが、プロパガンダ映画ですな、典型的な。

2014年のロシアのクリミア侵攻に始まる。最後はキーウ近郊でのライフルショットなので、今のウクライナ・ロシア間の戦争に至る。

ロシアによる周辺国への侵略というのは、ポーランドやチェコ、ジョージア等の映画をちゃんとみれば、特殊なものではなくて繰り返されてきたものだというのがよく分かる。特にセルゲイ・ロズニツァの『バビ・ヤール』(2021)をよく見つめてほしい。コテコテのフッテージであるにしても、切り取り方はあるべきコスモポリタンである。

今回の映画は、恋人の女が殺されて、物理の教師をしている男が立ち上がる。次にこの男のメンターが殺されて、男がさらに奮い立つ。つまり、やられたことへの復讐が、キーウの現在に繋がるのだ!というのがこの映画の主張である。

やられた。それからまた、やられた。だから、やるんだ! そういう映画である。

平和ボケのお人好しであるが、外国のことになどまったく関心がないし、それについて考える術すらない日本人にはロズニツァではなく、この映画のほうが分かりやすい。民族主義の真似事が、2000年からはなぜかね、病気のように再発してる。注意してね。なんでもいいから、なんでもない。この虚無にね、魔が取り憑くわけ。

奇妙なのは、なぜ精神に問題のある病者のような巫女として男の恋人を描いたのかだ。男は物理学が分かる。女は?ほとんど狂人のような描き方のこの女が殺害されたことを、ウクライナの蜂起の大義にするというのは、奇妙である。この対比には何か解読すべきものが隠されているのかもしれないが、妙である。殺害されて当然の挙動なのだ。何らかのつまらない実話に映画向けの脚色をした結果なのだろうか。不明であるが、それ以上考えようとする契機にならなかったのは、映画的には問題である。

スナイパーがススキの間から、砂の上で、ゴミ山のなかで、あるいは、雪降るなか、ひたすら狙いを定める。このプロフェッショナルの描写だけが、この映画を映画にしている。そこはよい。妙に、スナイパー男を格上げして、武装レベルを上げて見せたり、1人だけバスタブに浸からせて孤独なVIP感を出したりというのは、課金式のオンラインゲームのうっとうしい広告動画とまったく同種の、兵員募集のプロモーションであるということは、ちゃんと把握するべき。


5.1ch、マルチチャンネルサラウンド。2回、我が家のシステムの再生の能力を超える信号が出ていた。『ハート・ロッカー』(2008)よりやばいやつかもしれない。地雷のスイッチを打ち抜くシーンに注意。「正しい」音量だとスピーカーをお釈迦にする可能性がある。そういう意味では、素晴らしいサウンドなのかも。
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