ピナ・バウシュは表現主義系の舞踏家で、1940年に生まれて2010年に亡くなった。ヴェンダースは交流のあったピナ・バウシュをフィルムに収めようともともと企画を温めていたらしい。3D映画ならばと思いたったのが2009年のことで、間に合わなかった。ピナ・バウシュは癌で亡くなってしまう。失意のヴェンダースであったが、ピナ・バウシュが率いたヴッパタール舞踏団は存続し、残されたメンバーと追悼の映画を撮ったのが、本作『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』である。
☆内容
主に、以下の①~③から成る。
①
『春の祭典』、『Café Müller』(椅子がいっぱい並んでいるやつ)、『Kontakthof』(男と女に別れて並ぶやつ、モンタージュで1つにしているが別のダンサーを起用した別テイクを重ねている)、『Vollmond』(暗がりに巨大な白い岩があり、雨が降っているやつ)という、過去作からの抜粋がメインである。この過去作はピナ・バウシュの死後にこの映画のために撮ったようだ。
②
ヴッパタール舞踏団のメンバーの思いつめた顔のバストショット。それとシンクロしていないメンバーのモノローグ。また、そのダンサーのソロの演技を折々に挿入する。喋らない人物のショットは『ニンフォマニアック』(2013)を想起した。
③
思い出したように生前のピナ・バウシュの映像が挿入される。
☆3D
これらの①~③のうちの①の最初のもの、つまり『春の祭典』だけ、3Dになっていると思われる。『春の祭典』のダンスは舞台に土を巻いてとんぼで均すところから始まる。その土の上のダンスはピナ・バウシュらしいものではある。土のステージに並び立つダンサーを捉えた3Dの映像はホールの客席から見れるものでも、同じステージに立てば見れるというものでもなく。映画監督が生み出した映像である。
☆ダンス
しかし、ロシアの皇帝たちのために作られたマリインスキーのバレエ団がステージ上で演技し、オーケストラピットでゲルギエフがマリインスキー劇場管弦楽団を振るという、ストラヴィンスキー&ニジンスキーの古典的スタイルを極めたものと比べるならば、プロとセミプロの差がある。②のソロを見れば明らかだが、ダンスそのものが上手ではないのである。どの分野でもそうだが、新規な創作系にはつきまとう技術の欠如である。しかし、その種のパフォーマンスから目新しさまで無くなると、珍妙さだけが残る。
☆VS アルモドバル
『春の祭典』を除くと、3Dではないので、この映画を3Dでどうしても観たいという人を慰めるのは『春の祭典』だけ。
ペドロ・アルモドバルは『トーク・トゥ・ハー』(2002)において、2Dでピナ・バウシュを捉えていた。客席にいる人物たちの視点でピナ・バウシュの舞台を定点撮影したのである。既に瘦せ細ったお婆ちゃんのピナ・バウシュであるが、アルモドバルの映画全体にとてもよく馴染んでいて、オマージュというのはこうするべきなのだろうなと思う。ヴェンダースが正面切って取り上げたものは、アルモドバルが既に映画で提示していたものを超えることはない。何か特筆すべきものがあるとすれば春祭の3Dだけである。
ピナ・バウシュが生み出したダンスが、ヴッパタール舞踏団のメンバーによって再現される。しかし、ピナ・バウシュは亡くなってしまった。反復されるダンスに生命を感じるか?それとも、出がらしの形骸なのか?本作を観ると後者である。なお、ヴッパタール舞踏団は外部の舞台監督を招聘し、活動を現在も続けているようだ。
3D Blu-ray。この映画の2Dは国内版で視聴できる。3Dは北米版Blu-rayに頼ることになる。3Dユーザーを失望させたくないので書くのだが、この映画を無理してまで3Dで観る必要はないだろう。