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アンダーカレントのnetfilmsのレビュー・感想・評価

アンダーカレント(2023年製作の映画)
4.3
 夫の悟(永山瑛太)の失踪を今ようやく受け入れようとしている家業の銭湯を継いだかなえ(真木よう子)の元へ、ある日住み込み希望の謎めいた男・堀(井浦新)が突然現れる。この場面は犬に餌を与えようと雨戸を開けたかなえと男との鉢合わせで描かれる。胸元のゆるっとした寝間着を着ているかなえは胸元を抑えながらモジモジしているという何だかいつもの今泉力哉らしい柔らかい演出だ。その後、朝食を小さなテーブルで顔を付き合わせながら普通にご飯を食べる様子がどうかしていて、このような昭和のお茶の間幻想を守るかのような話の運びにいったい令和時代に我々はいま、何を見せられているのかと思う。そもそも風呂屋、住み込みなどのワードが極めて昭和臭い。更に付け加えて探偵と来れば何かが匂うのだが今泉力哉は昭和的な建て付けの物語を極めて自然な形で平成を越えて令和に昇華する。菅野(江口のり子)から紹介された胡散臭い探偵・山崎(リリー・フランキー)のやまざきなのかそれともやまさきなのか?そして濁点の有無に何のこだわりのない飄々とした性格がかえって哲学的で、かなえに禅問答のような問い掛けをしながら、彼女の内面にある種の波風を立てて行く。

 温泉そのものが根源的に持つ水のイメージが今作全体を覆い尽くす。昨年と同様に窓際にやって来たカエルは正に水の上を操る類まれなるバランス感覚を持った爬虫類だが、かなえは水の上で上手くバランスを取ることが出来ない。『ファルコン・レイク』は奇妙な湿地帯を舞台に描かれるボーイ・ミーツ・ガール映画で、映画そのものの世界が沼地に足を取られる少年少女の危うい道行きを予感させたが、今作は水死した親友になり代わって自身が水に沈められる悪夢のような話で、かなえのそのイメージはピアニストBill EvansとJim Hallの傑作『Undercurrent』のアートワークそのものなのだ。「My Funny Valentine」を擁するあのアルバムの奇跡のような静寂と美しさは今作の世界観に多大な影響を与えている。登場人物全員がミステリアスな物語は然しながら、どんな仄暗い深淵にも到達しない。今泉力哉という作家は夫婦だったりカップル、つまりは男と女のわかり合えなさを常に表現して来た我が国でも一貫性のある作家だが、自分自身が他人を完璧に理解することなど出来るのだろうかという哲学的な問いに観客は抗えない。山崎そのものが今泉力哉で、ヒロインの心の喜怒哀楽に様々な方法で訴えかける。我々は一緒にいる時に大切な話が出来ていただろうか?水の持つイメージは一旦は脇に置かれるものの、川上から川下にゆっくりと流れ落ちる人生の機微をじっくり丁寧に解き解すような今泉力哉の作劇の妙に心打たれる。例えわかり合えないとしても、同じ痛みを分かち合うことの素晴らしさ。リリー・フランキーそのものもフィルモグラフィにおける脇役としてのベストだと断言したい素晴らしい演技だが、堀(井浦新)の防波堤となった煙草屋のおっちゃん(康すおん)の底なし沼のような存在感には、心底驚かされた。
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