ブタブタ

世界の終わりからのブタブタのレビュー・感想・評価

世界の終わりから(2023年製作の映画)
5.0
伊集院光氏がラジオで、昔何かの番組で庵野秀明監督にインタビューしたけどすっげー嫌な奴で本人は大嫌いだけど作品は面白いしクリエイターとしては天才(要約)みたいな事言ってた。

紀里谷和明大先生はテレビで見る度にどんどん嫌いになってくなー。
『CASSHERN』は大好きな作品。
なんたって美術デザインと世界観の作り込みにCGのチープさや不自然なアクション諸々が逆に最早シュルレアリスム、現代美術の域にまで達してるというか…

紀里谷和明監督の人間性に関わらずこれからも繰り返し見ると思う。
『GOEMON』の番宣で情熱大陸出た回はなんて尊大で偉そうな奴だと思い先日のマツコ会議は開始3分で見るの嫌になって更に見終わる頃には今迄の十倍くらい嫌いになった(笑)

紀里谷和明監督の思想や映画製作に対するスタンスはライムスター宇多丸氏の『GOEMON』酷評の中で言ってる事がほぼ全てだと思う。
作品を作りたい見せたいって意識よりも自分が前に出たいんだと思う。
映画に関しては黒澤明監督が撮影の邪魔だって家壊したり無茶な要求したり、そういう偉大なる監督の真似っ子がしたいだけ。
何を作りたい見せたいよりも「偉大なる監督」になりたいのが先に立ってる。
コレは松本人志も同じだった。
極論を言えば紀里谷和明監督が『エヴァンゲリオン』や『七人の侍』に匹敵する様な作品を作ってたらバッシングとやらを受ける事もなく、言う事やる事なす事全部世間から肯定されてたのに。

紀里谷和明がなりたいのって《イチロー》とかよく知らんけど元ホストの《ローランド》みたいな存在でしょ?(基本的に名前がカタカナとアルファベットの奴は信用出来ない)
曖昧な定義に於ける「コメンテーター」みたいな存在。
何か知らんけど昔凄い人で周りの人間は無条件に言う事ウンウン頷いて何か知らんけどリスペクトされてる人。
特に今のイチローみたいに社会や若者に対して格言やいい事言って悦に浸る余生を送りたいのに其れが出来なかったから引退するとか言い出してるんだろう。
別に誰も引き止めてないのに「引退する引退する」って言う奴はただのかまってちゃんだから。
元相撲の北尾とかアニメの山本寛とか(魔法少女のアニメはどうなった?)自分は天才なのに世間に認められず、その才能を妬まれ、引退する引退するとか言い出すやつって基本皆一緒。

富野由悠季監督が「コンピュータを神様みたいに思ってるバカ共は駆逐しなければならない」
って言ってたけど禿同👼
紀里谷和明もAI信者になっちゃったみたいでAIさえあれば全てのエンターテインメントから人間は要らなくなると思ってるらしい。
(AI信者と反ワクチン教って根っこの部分で通じてる物を感じる(根拠無し))
紀里谷和明大先生曰く「頭がいい、頭が悪い」が今の世の中の最大の価値観で(しかし歴史上《バカ》が珍重された時代何てあるか?)AIの出現により「頭いい」人間の価値が無くなるからこれからは「優しい」人間の価値が必要になるとか、人間が機械にとって変わられるから能力よりも性格重視になるからってそれ数十年前に僕が小学校の時の教師(バカ)がもう言ってた。(機械が人間の代わりに働いてくれる時代なんて永遠に来るか( ゚∀゚)o彡゜バーカバーカ!)
紀里谷和明大先生曰くこれからはAIが全部やるので映画、音楽、芸術、グラドル(笑)からは人間が撤退させられるらしい。
何か最近やたらとAIAI言うバカってAIを伝家の宝刀みたいに振りかざして自分が絶対になれない《天才》をバカにする為の道具としてAIAI唱えてる様に見える。
でも紀里谷和明さんは本気でAIが何でもやってくれると信じてるわけでなくて(もしそうだとしたら完全なバカだ)自分は創作活動から撤退するから全ての創作活動に関わる人間に対してのイタチの最後っ屁みたいにそんな下らない事言ってるんだと思う(そう思いたい)

宇多田ヒカルって紛うことなき天才と一時期一緒に居て今はすっかり黒歴史扱いの紀里谷和明もAIAI言って自分がなれなかった《天才》と呼ばれる人達に対する負け惜しみ、恨み、嫉妬、「AI様がいるからお前ら何かもう要らないんだ( ゚∀゚)o彡゜バーカバーカ!」って言ってる様にしか見えない。
引退したきゃすりゃいい。
AIに無条件に白旗上げてる様な人間はもう一切の創作活動する必要はないと思うので。
AIを使って凄い作品作る、創作活動する人は沢山いると思うし。

で、『世界の終わりから』ですが(笑)
小説のジャンルで言えば《ヒロイン苦難物》と言うのがありまして(勝手に命名)主人公(女性)は兎に角酷い目に合う、合い続ける。
たった一人で《世界》と対峙する事を余儀なくされ基本的に助けてくれる人はいない。
唯一の味方、相棒的な存在がいたとしても、その傍らにいるのは大抵役立たずである。

主人公は世界と対峙するが、その世界は主人公の妄想或いは夢或いは内宇宙(インナースペース)の可能性が高い。
これってセルバンテスの『ドン・キホーテ』がその代表的な作品で『世界の終わりから』も多分にこの主人公の内宇宙的な世界の作品。

女性主人公の《主観》で世界を見ている実験的小説で《ヒロイン苦難物》で言えば思いつくだけで

キャシー・アッカー『血みどろ臓物ハイスクール』
ユイスマンス『腐爛の華』
アイリス・オーウェンス『アフター・クロード』等

女性主人公、ドン・キホーテ、セカイ系。
『CASSHERN』もそうだったけど紀里谷和明監督作品て作者の意図しない方向で、作者が望まない方向でこういう凄い作品が出来てしまう、様な気がする。
この『世界の終わりから』もハナ(伊東蒼さんは本当に凄い役者だと思う)の主観的世界であり、世界から虐められ爪弾きにされるハナの絶望、その脳内世界をVR化した様な世界である。

ドン・キホーテ繋がりで『ドン・キホーテ』と言うそのままのタイトルの小説も書いてるキャシー・アッカーって女性作家がいる。
その処女長編『血みどろ臓物ハイスクール』及び『ドン・キホーテ~それは夢だった~』に『世界の終わりから』は凄く重なる部分が多い。(と感じた)
(紀里谷和明監督はキャシー・アッカー何て読んでないだろうけど)
キャシー・アッカーの事を簡単に説明すると作家・詩人であり実験的前衛小説家。
人の小説や文章、詩等を適当に切り貼りして自分の文章に入れ込む音楽で言うサンプリングみたいなカットアップ、フォールドイン(コレを発明したのは偉大なる天才作家WSバロウズでアッカーはバロウズに師事し、唯一バロウズに認められた?高弟であり「女バロウズ」等と呼ばれていた)で数々の実験的作品を書いた。
また作品だけでなく自身のキャラクターを「売り」にする事も厭わずバイ・セクシャルを公言しスキンヘッドにボディビルで鍛えた身体には刺青、革ジャン姿でハーレーを乗り回し、メイプルソープのモデルになりヌードを撮らせたり、しかし若くしてガンであっさり死んでしまった。
その小説はひたすら「アタシを愛してちょーだい!」と叫びまくるヒロインの性と暴力の冒険と彷徨を描いていた。
アッカーの『ドン・キホーテ』では発狂した老女が自らを騎士ドン・キホーテだと信じ犬の聖シメオンと共に世界(アメリカ政府や学校教育や男といった物)を相手にたった一人の戦いを開始しやがて死の世界へと入っていく。

ハナと幼馴染のびっこの少年はドン・キホーテとサンチョパンサでありアッカーの老女ドン・キホーテと聖シメオンの様。

コレで引退なんて言わないで(引退するって言って本当に引退したのは山口百恵だけだって誰かが言ってたけど)また映画撮って欲しい。

それからGACKT主演の『新世界』とかいう超つまんなそうな映画が引退?作品にならなくてよかった。
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