シュルレアリストの画家の一点の絵全体が、シュルレアリスト的である必要は全く必要がない。論理的にそこにあるはずのない小さな細部があれば、それで充分なのだ――ルイス・ブニュエル
ブニュエル監督による「昇天峠」(1951)のバスに続く乗り物シリーズ第二弾。
メキシコシティ。113番の市電が廃車になることが決まり、担当車掌のファンと修理工のタラハスも解雇される事になった。その夜、二人は酔っぱらった勢いで113番を動かし街に繰り出す。やがて冷静になるにつれ電車盗難で逮捕されやしないか心配になるのだが。。。
電車には、屠殺場で残業していた労働者たちが大量の牛肉を手に、続いてキリスト像を持った修道女たち、そして遠足の子供たちと、様々な人々が乗ってくる。監督はこれを有名なシュルレアリスム版画”百頭女”に例えて「市電の内部にそれらの版画を貼り付けたようなもの」つまりコラージュの一種だと説明する。
しかし芸術的手法であれ観客の自分は、市電を媒介にしたメキシコシティの人間ドラマとして楽しんだ。市電を走らせた二人は早く車庫に電車を返したいのだが、お人好しが災いして乗り込んでくる人を無下に断れず戻ることが出来ない。果たして二人はどうなってしまうのか!というノスタルジックな冒険譚として面白い。「昇天峠」と同じく強い毒はないが、幾多のデティールの中にブニュエル流のユーモアが散りばめられた佳品だと思う。
シュルレアリスムについて、ブニュエル監督は“潜在意識の発露”と定義しているので、本作に登場する市井の人たちへの視点も潜在意識が反映されたものなのだろう。その視点は意外に温かく感じた。
※グラマラスなヒロインを演じたリリア・プラドは「昇天峠」でブニュエルに気に入られて本作や「嵐が丘」(1953)に出演。