にゃーめん

夜明けのすべてのにゃーめんのレビュー・感想・評価

夜明けのすべて(2024年製作の映画)
4.0
「夜明け前が一番暗い」

コロナ禍明けのタイミングで公開される映画の特徴として、「優しさ」「癒し」「心あたたまる」というキーワードを連想させるような作品が目立つ印象だが、本作もそのキーワードに合致する、観たあと全身が優しさに包まれるような作品だった。

パニック障害の山添くんと、毎月訪れるPMS(月経前症候群)に悩まされる藤沢さんが主人公。
原作は未読。

PMSは女性として産まれ、月経のある人はおそらく誰もが経験する症状なため、私も藤沢さんほどでは無いにしろ、症状があるため、PMSの苦しみは共感・理解できたが、パニック障害に関しては経験した事が無いため、今作の描写で具体的にどのような症状があり、日常生活でどういったことで困るのかを知るきっかけとなった。

上白石萌音さん演じる藤沢がPMSの症状で人格がガラッと変わる芝居は特に凄まじく、白眉であった。

普段は周囲の人に気遣いが出来て優しく、面倒見の良い性格なのに、PMSの症状があると、全く違う人格が乗り移ったかのように、他人に攻撃的になるという演出は、もしかしたら自分も他人からはそう見えているのかもと客観的に見ることができた。

PMSの症状が出ている間は、自分も仕事でしょうもないミスをしたり、いつもは気にならない事が突然不快に感じて、どうしようもなくイライラしてしまったり、我を忘れて物に当たったりしてしまうため、全ての描写が分かる〜〜!のオンパレードだった。

ピルも血栓症の既往があると服用出来ない事や、代替の薬も眠気の副作用が強く日常生活の妨げになるという点に触れており、医療監修周りもしっかりされていて好感が持てた。

パニック障害やPMSに限らず、自分の意思ではコントロールする事ができず、現代の医療でも完治が難しい(治療の選択肢があるにはあるが、副作用があり長期服用が出来ない等)病気や疾患はこの世に星の数ほどある。

それらの全ての病気や疾患について、本当の意味で"理解"することはできない。

それでも、お互いのできる範囲で寄り添い、支え合う事はできるという道徳の教科書で扱われるようなテーマの提示で終わりがちな所を、寄り添い方にもOKなものとNGなものがあるという例を示していたのが印象的。

その例である山添くんの彼女は、メンタルクリニックに付き添ってくれるなど、一見"理解のある彼女さん"のようであるが、当事者の目の前で、炭酸水やガムがパニック障害の発作の原因ではないかと主治医に聞いたり、当事者が会食が苦手だと言っているのに、飲み会に呼ぼうとしたりと、"理解しようとしている風"を装っているという描写が巧みであった。

このような当事者と健常者の"超えられない心の壁"と
同じ薬を飲んでいても、全く違う症状なため、自分とひとくくりにされたくないという、病気持ちの当事者同士でも存在する、"超えられない心の壁"の
2つの壁が存在するという描写には唸ってしまった。

その壁の存在を自死遺族の立場として知っているが故に、当事者達を無理に理解しようとするでも無く、"見守り、適度に支援する"というポジションの、栗田社長(三石研)と辻本(渋川清彦)の存在がなんと善良なことか。

(お二人ともヤクザ物やバイオレンス映画での強面な役もこなすため、振り幅の広い名バイプレイヤーである。
決して善良な役が似合わない訳ではないが、それらの作品での役柄のせいで、画面に出るとちょっと警戒してしまうのであった。(笑))

もし、現実になんらかのマイノリティを抱えた人が身近に現れたら具体的にどう接していけば良いか?を示してくれるロールモデルのような役どころであった。

この感想を書きながら、思い出し泣きしてしまうのが、辻本(渋川清彦)と山添くんの外食のシーン。
「今の会社に残る」と伝えた時の辻本の感極まった表情を敢えてガッツリとは見せない演出がたまらない。

闘病物の作品でありがちな、御涙頂戴的な話にせず、常に当事者目線を忘れないという作り手側の意思を感じた。

SNSで高評価の嵐吹き荒れる本作だが、パニック障害の当事者は、"映画館"でこの作品を観ることは(発作が出てしまうため)、きっと叶わないのだろうなと途中で気付く。

当事者を鼓舞するための映画というより、病気や疾患だけでなく、あらゆるマイノリティを持つ当事者を雇用する側の人事や、経営者の皆さんに是非観て欲しい一本である。

栗田科学のように、マイノリティに対する理解や配慮のある、血の通ったあたたかい会社が増え「夜明け」のような作品になりますように。
にゃーめん

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