「自然のサイクルのなかに”悪”は存在しない」
という濱口監督の考えに基づいて命名された本作は、元々『ドライブ・マイ・カー』(2021)の音楽を担当した石橋英子さんのライブパフォーマンス用のサイレント映像の制作を発端として作られたものだそう。
(こちらの映像作品はパンフによると『GIFT』というタイトルだそう。)
冒頭の長野の林を下から見上げるアングルの長回しシーンは、舞台となる自然豊かな架空の町、「水挽町」へゆっくり入村していくような感覚で、オープニングシーンからして濱口監督ワールドにグイグイ引き込まれてしまった。
都会の固いアスファルトを見つめる日々を送る自分にとって、木々を見上げ残雪の残る土の上をゆっくり歩くこのシーンだけでも相当なヒーリング効果があった。
この冒頭のシーンからしても、本作の主役は"自然"そのものであることが明示される。
本作の本筋におかれているのは、自然豊かな地域にコロナの補助金でグランピング場を作ろうとする都内の芸能事務所と地元住人の対立構造だが、人間同士の対立自体にも明確な"善人と悪人"は存在しないというのがキモ。
濱口監督作品になぜか惹かれてしまう点として、「見知らぬ者同士が会話・対話を重ねていく事で相互理解し、お互い人生色々あるけど、なんとか折り合いを付けていく」というテーマがあるように思うが、そのテーマが本作でも十分堪能する事ができた。
グランピング施設の計画を進めようとする会社側の人間である、高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)による車内の会話劇は、会話そのものに注視してほしいためか、表情が分かる正面からではなくそれぞれの斜め後ろから2人の会話シーンを映していたのが印象的だった。
会社での理不尽な思いを共有する同僚同士の本音さらけだしぶっちゃけトークで、その人となりが分かるというのは、車内という密室空間ならではだろう。
『ドライブ・マイ・カー』での車内の会話劇も秀逸であった。
地元住民側と会社側の対立構造が浮き彫りになる説明会のシーンの、"先生"のセリフも印象的であった。
「水が上から下に流れるように、杜撰なグランピング計画を進めるコンサルと社長が上流でめちゃくちゃな事をした結果、迷惑を被るのは下流にいる地元住民である」
この世で起きているあらゆる事柄にも通じるセリフで、気付きがあった。
環境を破壊せず、自然と共生していくには「バランスが重要」という主人公の巧(大美賀均)のセリフも大変説得力があった。
(多くを語らず、ぶっきらぼうな物言いの芝居が、そこはかとない不穏さを醸しており、大変味のある俳優さんだなと思ったら、本業は俳優でなく、元々は助監督さんらしくこれまた驚いた。)
現実問題として、近年多発する野生のクマが人間を襲う話や、鹿による農作物の被害も、自然のサイクルが人間によって壊された結果起きている事で、自然自体に"悪は存在しない"。
豊かな自然を人間の欲望のままに"消費"するのではなく、共生していくには、自然をどうこうするよりまずは人間同士の対話が必要なのではないか。
そんな問いかけをされたようにも感じた。
補足情報:鳥の羽軸で作るチェンバロの音色はプラスチック性より遥かに良いらしい。
薪を割るシーンは3テイク撮ったが、1テイク目を使用したそう。