『ケイコ 目を澄ませて』のように街並みと主人公達の生活を交互に映すことで、この世界のこの町にこの人達が、もしくは同じような環境の人達が確実に住んでいるという実在感は今作も健在。
ボクサーというレアな職業にフォーカスされていた前作に比べ、今作はPMSやパニック障害を抱える二人が主人公で、より生活に根差したドラマとなっている。
ケアは特定の誰かが担うものではなく、する側とされる側が必ずしも固定されているわけでもなく、ある時は助けられなくてもまたある時は助けられたり、助ける人と助けられる人が入れ替わったりたまに入れ替わらなかったり、そんな交差性が藤沢さんと山添くんの関係性にはたくさん詰まっていて素敵すぎ。
あと、社長の亡くなった弟さんがいまを生きる藤沢さん達に新たな視点を提供してくれたり、逆に社長が弟さんのことで初めての発見があったりする。
この世界に終わりはなく、日常の中で何かの関係や出来事が終わったとしても周囲の人には連鎖的に影響し続け、孤独を悪いものや人間関係を築くまでの過渡期みたいな位置付けにしてないのがとても居心地良い。例え今は孤独でも今までに出会った人との思い出はずっと残るし、これからはそうでないかもしれない。そして、また孤独になるかもしれない。経験も記憶も意識も、その度に変化したり積み重なって同じ状態は二度と訪れないもの。
人との関係ってたまに壊れたり傷ついたりするけど、それでも助け合えることもあるし、無理でも次や次の次に会ったり話したりするときにはできるかもしれない。それぐらいの緩い関係(別に恋愛とか依存とかを否定しているわけではなく、異性愛規範が強固なフィクション作品が多すぎるので)がその場限りのケア性を発生させて、人生が続いていく。
こんな世界に生きたいし、こんな世界が少しずつでも広がっていけばいいと思う。