くりふ

地球爆破作戦のくりふのレビュー・感想・評価

地球爆破作戦(1970年製作の映画)
4.0

【究極のあとよろ】

子供の頃TV放映にて、地味ながらもハラハラしてみた記憶があります。TSUTAYAの「発掘良品」にあったので再見したら発見、色々あり楽しかった!

大切に生み育てた巨大コンピュータが、ひどい不良息子になってしまうお話。

2001年のHAL以降、こうした事件は絶えずに、ときどき発生しますね。2008年にも、本作と酷似した事件がペンタゴンで起きていました。タイトルはネタバレなので鷹の爪~じゃなくて! とだけ記しておきますが、本作と比べても、歴史は繰り返し人間は学んでない…と感じるものでした。

本作製作時は1970年冷戦下。で国防(要は核のファイナルアンサー)を全て、コンピュータ任せにしちゃおう、人間の「判断」はときに間違うから、完璧な機械息子に「計算」で決めさせちゃえ…あとよろしくねコロちゃん!と、ラクしたい米国政府が、コロッサスと名付けたブラックボックスに、丸投げして蓋閉じちゃった結果起きる大騒動です。…邦題は大嘘ですが(笑)。

まあありえんでしょ、という設定なので、寓話としてみた方が楽しめますね。で、ブラックボックスと言葉で戦う、というサスペンスに絞った所が、映画としての、面白さの大きなポイントでしょう。

コロッサスのUIは文字通り黒い箱で、その表面に電光掲示板のように、「彼」の言葉が唐突に現れ、流れますが、これが加速的に恐怖と化します。この顔なし無音UIとの対話を誤ると、即ミサイル飛びます飛びます状態に!!

J・サージェント監督の、ムダなく小気味良い演出がもー引っぱる引っぱる。冷戦下、さらにデタントの時期という時代背景は影響しているでしょうね。

コロちゃんの力でヤヴァい事情が発覚し、慌てて米ソ、仲良しになった筈が、かえって墓穴掘っちゃいました…という皮肉展開もなかなか効いてます。やっぱソ連も同じこと考えてるよ! というのがお話を立体的にしましたね。

コロッサスの名は、第二次世界大戦で暗号解読用にイギリスで開発された、「世界初のプログラム可能デジタル電子計算機」から取ったと思われますが、元々の、ロードス島の巨像…神に似せたことで、神の怒りに触れたため、地震で崩壊したと信じられた…という伝承を引き継いだとみる方が面白い。

原作ではコロちゃん、不良息子なのに自分は神だとか言い出しますからね。デンパで動く息子だから仕方ない面もありますが、計算で導き出した答えで、人間側にも、神になってもらった方がラクかも…と一瞬思わせてしまうのが、原作の至った怖さでした。

比べると映画は、ちょっと寸詰まりな結末ですね。まあ当時はこのへんが、映画の表現としては限界だったのかもしれませんが。『マトリックス』などのご先祖的映画とは言えるのでしょうね。

が機械と、人間の意識が融合する段階まではまだ、まるで至ってませんから、その障壁を隠れ蓑に、地味なレジスタンスに走る所が、もう一方の面白さ。

昔々、諸星大二郎さんの、機械と人間が戦争するSFギャグ漫画にあった、「人類最後の砦はセックスと排泄だ!」という迷台詞を思い出したのですが、本作ではそれがギャグとなれず、セックスの場が命綱になります。

しかし、人間やっててよかったな、と不思議な安堵をおぼえる場面にもなっていて、キャスト地味なれど、ヒロイン演じる理系美人さんの硬質美も心に残ります。

吹替え版がTV放映時のもので、主人公の博士/山田康雄、大統領/納谷悟朗、という、ルパン銭型コンビがシリアスやってて、妙に可笑しい。でやっぱり命綱関連場面が随分カットされ、日本語音声足りぬ所も可笑しい。

劇中にその名も登場しますが、フランケンシュタイン・コンプレックスをあからさまに描いてもいますね。原題が「COLOSSUS: THE FORBIN PROJECT」。初め禁断のプロジェクトかと思ったんですが、FORBINって主人公の名でした。が、FORBIDDEN(禁断)とかけて、名付けているとも思うんですね。

父と子の名が並んでいる所が、まるでフランケン父子のようですが、父を超速凌駕し、悲劇が一瞬で世界規模と化すのがM・シェリーの時代と違う、テクノクラシーに潜む恐ろしさ。これ消えそうにないコンプレックスですね。

感覚的に、最近作だと少し『デスノート』に近いとも思いました。言葉で世界を統御する万能感と、世界が消える絶望感の、唐突な並列。あのノートとコロッサスって、似たもの同士な気もしてきます。

で、巨大なコロッサス内部は、今みるとデス・スター内部にそっくり。渡り廊下の下にどこまでも続く回路の谷が、電子の奈落のようでした。

<2010.11.29記>
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