耶馬英彦

ブルーバック あの海を見ていたの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

3.5
 なにか違和感がある作品だった。その違和感を考察してみる。

「ブッダの言葉スッタニパータ」には、愛著(あいじゃく)と憎悪と恐怖を離れた人をバラモンと呼ぶと記されている。愛著も、憎悪と同じように心に罣礙(けいげ=こだわり)を生じさせるもので、自由な精神性を得るための障害となる。ブッダは、家族への愛も故郷への愛も、すべて捨て去るべし(出家すべし)と説いている。

 本作品はブッダの思想とは正反対で、故郷にこだわり、家族にこだわり、友人にこだわる。愛著である。愛著は憎悪の裏返しでもあるから、故郷の敵、家族の敵、友人の敵を憎むのと同じ精神性だ。

 自然に親しんだ者は、自然に愛著を抱く。文明に親しんだ者は、文明に愛著を抱く。自然を破壊して地球の環境が急激に悪化したのは、電気が文明の中心エネルギーになったからだ。それはほとんどの人が理解していると思う。電気のおかげで交通や通信のスピードが驚くほど速くなり、短時間で長距離を移動できたり、離れた人とリアルタイムでコミュニケーションを取れたりするようになった。
 自然を守るために電気の生活を捨てることは、もはや誰にもできない。多くの人々は、人類の罪深さを自覚しつつも、不便な生活に戻るのは難しいと考えていると思う。極端な自然保護運動や極端な開発は避けなければならないが、どこかで妥協して折り合いをつけるしかない。人類がいずれ絶滅するのは明らかだが、なるべく遅くしたいのだ。

 環境活動家の母親は、娘に環境活動を強制する。それが最初の違和感だ。環境活動は自然を破壊して生物を殺すことを制限する活動で、してはいけないことを共有しようとする活動だ。しなければならないことを強制する活動ではない。
 その強制に対して娘が反発しないことが次の違和感だ。一方的な教条を強制されると、大抵の人は反発を覚える。娘が反発しなかったのは、カルト宗教のように、幼少期から洗脳されているからだろう。しかし思春期には相対化できたはずだ。ちょっと娘が大人すぎる。

 海の映像はとても美しく、巨大魚の造形もよくできていた。海に親しんだ者は、何の疑いもなく海を愛するのだろう。愛著である。ただ、娘は母と少し違って、寛容な大人に育っている。そこに少しの救いがあった。
耶馬英彦

耶馬英彦