このレビューはネタバレを含みます
嫌いじゃないけど刺さらなかった。というかメンタル死んでるときに観たら吐き気がした。ということは刺さったということですね。どっちだよ、俺。
若者たちの間では憑依ゲームが流行っていた。手の置物を握り「トークトゥーミー」と唱えると霊が現れ、「レットユーイン」と唱えればそれが憑依する。90秒以上憑依されれば本当に取り憑かれるらしい。それがゲームの内容だった。
トリップ的に楽しんでいた若者たちであったが、中学生のライリーは霊を帰すのに失敗してしまい、激しい自傷行為を始める。彼に降霊を許可したミアは自責の念に駆られる。
降霊術は世界中にある一種の儀式だ。霊であったり神であったりをこちらの世界に呼び、彼らの言葉を人間を媒介して聞く儀式だ。コックリさんやウイジャボードが有名だ。日本だと狐憑きといい、コックリさんをやった女の子が突然おかしくなるということがよくあったらしい。それは集団催眠にも似ている。
スーフィーというのはどこにでもある儀式だろう。酒や麻薬でトリップすることで別の次元に達し、宗教的にも高みに登ることができる。
そのハイブリットとでもいうべきなのが本作の憑依ゲームだと思う。
僕が吐き気を催したのは、ミアへの感情移入からだ。自責の念が強い人はわかってくれると思うが、ライリーの惨状を引き起こしたという彼女の自責の念の表現がとてもリアルだったのだ。血の気が引き吐き気がして音もよく聞こえなくなり貧血のように倒れそうになる感覚が襲ってくる。自分が許可をしたせいで。自分のせいではないことまで自分に責任があるように感じる。きっと僕はそうやって「俺は大丈夫だ」と啖呵を切りながら精神疾患を発症するタイプだなと思った。そういう嫌なリアルさと、痙攣を起こしながら霊の言葉を口走る人、憑依が長くなり体を乗っ取られて異常行動を起こす姿の世界共通性の不気味さに、一瞬霊を信じそうになる。(2024.01.18追記:冷静に考えれば、そのような精神疾患の起こす症状は、人類において共通しているのだ。何かが見えたり、別人のようになったり、発作を起こしたり。そう考えれば霊という存在は限りなく否定できるのだが、高校生という多感な年頃の未成熟な子供にとっては、集団ヒステリーとしてそれはあり得るのだ。しかもミアは母親を亡くしてそう経っていない。癒えない悲しみに心を病む人間は少なくない)そういう意味ではこの映画はすごく怖い。
多分実際に狐憑きに遭うのは共感性の高い多感な時期の女の子が多い。集団ヒステリーというものもある。共同体の中の一人が何か異変を訴え、それが次々と別の人間に伝播する。
本作の主人公ミアは1年前に母親を自殺で亡くしていた。そういう意味では彼女は死と近く、降霊をイタコの口寄せ的に欲していた。死者と生者との間にある深い溝を埋めるように、若者は狭間の世界に没入する。
僕がこの作品でよくわからなかったのが、母の亡霊の立ち位置だ。旧Twitterでも僕以外に同じような人がいた。果たしてミアも呼ばれて暗闇を抜けて行く。そうすると母親の亡霊は本当に母親だったのだろうか、それとも。