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窓ぎわのトットちゃんのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)
4.0
【移ろいゆく死の香り】
12月に入り、やたらと『映画 窓ぎわのトットちゃん』の評判が良い。ということで、年末の追い込みも兼ねて映画館へ行ってきた。一見すると牧歌的な内容であるが、高度な脚本と技術が仕込まれた凄まじい一本であった。

支配者にとって最も都合の悪い人物とはどういったものなのだろうか?

答えはトットちゃんが教えてくれる。学校に入るも、興味関心に全振りしている彼女。それだけならまだしも、クラスメイトの注目を集めるカリスマ性を持っている。先生への眼差しを剥奪し、しまいにはチンドン屋を授業中に呼び寄せてしまい、退学することとなったトットちゃんは電車が教室の不思議な学校へ入学する。母親は、今回も退学することになるのではと不安がるが、校長先生はじっくり彼女と向き合う。この学校では余程の危険がない限り、生徒を自由にさせる。いつ、どんな勉強をしても良いし、便所に財布を落としたからと、肥溜めを掘り起こしていようとも本人が満足するまで放置をするのである。こうした放任主義は一見すると、トットちゃんによって場が支配されるように思えるが、意外とそんなことはなく、生徒たちは彼女に負けないぐらい個性を出し、調和が訪れる。つまり、支配者は自分の世界を持ち簡単に制御させてくれないかつカリスマ性を持つ者との相性は最悪である。そうした人物と対峙した際に、支配者はコントロールしようとするが、それは互いに疲弊するだけだったりするのである。

こうしたミクロの支配する/されるの関係を通じて、居場所を作っていく中で、国家というマクロが支配を強めた時にどのような影響をもたらすのか。本作は牧歌的なタッチからヌルッと骨太な世界へシフトしていくことにより、黒柳徹子が体験した生々しい日々を切り出すことに成功している。本作が秀逸なのは、支配する/されるの二項対立のほかに死に対するアプローチを織り交ぜていることにある。それにより、より生々しい物語へと昇華させている。

序盤では、トットちゃんが純粋無垢だからこそ気付かぬ死の恐怖を、異様な強調で表現する。難病持ちで手足が不自由なヤスアキちゃんと仲良くなる彼女は、ハイジがクララにした行為よりもグロテスクな強要を彼に求める。夏休み、先生もいない校舎で、彼女はヤスアキちゃんを木に登らせようとする。グラつくハシゴに無理やり彼を乗せ、押し上げる。画はハシゴへとフォーカスを当てていく。一度は転倒し、失敗に終わるが、諦めない彼女はさらにハシゴを持ってくる。明らかに事故の予感しかない状況、死ぬか死なぬかの宙吊りのサスペンスでことの顛末を描く。恐ろしいことに、敢えての乱暴なカット割りで死を連想させるシークエンスまで持ってきて描くのだ。

こうした、幼少期特有の危険行為による死の香りが、映画を追うに従って国家によりもたらされる死の香りへと変わっていく。それは事故によりポックリ死ぬのではなく、ジワジワ真綿を詰めていくようなものである。そこに重ねるように、ヒヨコの死とヤスアキちゃんの死を交えていく。ポスターヴィジュアルからは想像もできないほど、徹底的に死を積み重ねていく様に驚かされたのであった。
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