ベルベー

窓ぎわのトットちゃんのベルベーのネタバレレビュー・内容・結末

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

今年最後に観る映画がこれで良かった。

もう完全に直感的な話からすると、悲しみってこんな形で表現できるんだと思った。勿論楽しくて優しくて、絶望ではなく希望をもたらそうとする映画なんだけど、でもその根底にある悲しみが凄く伝わってきた。悲しみの原因となる事象を受け入れるのか、抵抗するのかそれとも…という葛藤とは別次元の、事象を突き付けられた少女の正直な悲しみ。そして自らの物語を2023年の今、改めて世に出さなければならないと考えたトットちゃんの気持ちを踏まえても…これはとても悲しい映画ではないだろうか。

例えば、戦争が激化し、服装も質素になったトットちゃんが生まれたばかりの妹や母親を気遣うシーン。お転婆娘だったトットちゃんの成長が逞しく、そして「正しい」ことだと思うが、同時に。正否とは関係なく、この少女の成長は悲しいものじゃないだろうか。社会、戦争、死を通して成長したトットちゃん。悲しみから逃れることはできないとか成長しなくて良いわけないだろとかそんな正論は置いといて、てか成長した方が良いに決まってんだわでも、それは悲しいことだよね。純粋無垢なままではいられない、何かを失わなければならないというのは。

また、トットちゃんと泰明ちゃんの「絶対忘れないよ」という約束。忘れないというのは、楽しかった思い出は勿論のこと、最終的に泰明ちゃんが亡くなるという果てしない悲しみも含めての「忘れないよ」なのだ。しかしそれは決してネガティブな意味ではない。悲しみも全部、得難い記憶、思い出なのではないか。悲しみがあるからこそ人生なのではないか。

宮﨑駿の「君たちはどう生きるか」と同じ年に本作が公開されたことに意味を見出さずにはいられない。宮﨑駿と黒柳徹子、どちらも太平洋戦争を経験した最後の世代だ。その時少年少女だった彼らが、あの時代をどう生きたのか。語り継いでくれることの尊さ。

面白いなあと思ったのは、2人とも富裕層で想像の世界に逃避する癖があってと共通しているんだけど、宮﨑駿はどうしてもそこにコンプレックスというか、鬱屈した何かを抱えている気がする。それは宮崎駿としての過去作でも感じたし、「君たちはどう生きるか」はそのコンプレックス含めて、ようやく駿は自らを肯定したんじゃないか、という映画だった(まだ作るということは、肯定できても克服はしてないんだろうけど)。一方で黒柳徹子は真っ直ぐに自らを肯定しているような…この辺り、クリエイター、引いては人としての2人の気質の違いが如実に表れているようで。

アニメーション的な見所も多く、「ドラえもん」シリーズの随所で光っていた八鍬新之介監督の手腕が遺憾なく発揮されているが、特に圧巻だったのは泰明ちゃんの葬儀場から走り去るトットちゃんを描いた一連のシークエンス。親友の死に直面した少女と、死に向かって進み続ける日本。個人と社会が静かに、しかしこれ以上ないくらいエモーショナルに表現されていて、胸が詰まった。

言葉に頼らない演出も見事で、映画館には小さい子ども達も沢山来ていたけど、彼らは今は分からないかもしれない。泰明ちゃんのお母さんが泣いた理由や、車掌さんがいなくなった理由。でも、いつか気付くでしょう。何度も観返すべき、いや観返すことのできる映画だと思う。「この世界の片隅に」と同じく。

声優は役所広司、小栗旬、杏の3人が皆原作のイメージにピッタリの声と喋り方で驚いたけど、大野りりあなはそれを超えるハマり具合。トットちゃんは子供の頃実際こういう喋り方だったんだろうな…って。あと「君たちはどう生きるか」にも「窓ぎわのトットちゃん」にも出てる滝沢カレン、凄え笑。あちらは米津玄師の主題歌が素晴らしかったけど、こちらのあいみょんもまた素晴らしい。キャラクターデザインがどうしても取っ付きにくいとか、思うところもあるかど、でも必見の映画です。
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