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窓ぎわのトットちゃんのhasisiのレビュー・感想・評価

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)
4.0
1940年頃の日本。東京。
トットちゃんこと、小学1年生の黒柳徹子が暮らす邸宅は、北千束に建っている。
いまの大田区にある赤松小学校に通っているのだが、授業妨害と子供たちの先導を理由に、退学になってしまう。
母、蝶が方々探したすえに見つけてきたのが、
自由が丘にあるトモエ学園であり。
そこは、他校で断られた子、障害を持つ子など、事情のある子を受け入れる思いやりの学び舎だった。

監督は、八鍬新之介。
脚本は監督と、鈴木洋介。
2023年に公開された伝記アニメ映画です。

【主な登場人物】🏫🚃
[大石先生]担任。
[小林先生]トモエの校長。
[斎藤英雄]チェロ奏者。
[トットちゃん]主人公。
[パパ]守綱。
[ママ]蝶。
[泰明ちゃん]小児麻痺。
[ローゼンシュトック]指揮者。

【概要から感想へ】🐥🐕
八鍬監督は、1981年生まれ。北海道出身の男性。
2005年に就職。『ドラえもん』の制作育ち。
『映画ドラえもん 新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜』(2014年)で、長編監督デビュー。
本作が4本目です。

原作は、黒柳 徹子(1933年生まれ)によって書かれた同名小説。
世界累計発行部数2500万部。

小説が誕生してから40年の時を経て初の映画化。
当時トットちゃんブームを巻き起こすも、映像化、舞台のオファーをすべて断っている。
いまは心境が変化したのか。
戦争がつづく暗い現代に必要なもの、と判断。実写ではなく、アニメ化であれば、イメージも崩れないだろう、と承諾された。

🪟〈序盤〉🐟🥬
多動+先導者。
児童だった頃の徹子のキャライベ集。

徹子のイメージ。
わたしの子供時代からずっとテレビに出ている人。
「ザ・ベストテン」に「徹子の部屋」に「世界・ふしぎ発見!」
・衣装持ちで豪華。派手好き。玉ねぎヘア含めて、ぶっとびファッション。
・ユニセフなどの、ボランティア活動。
・おしゃべりマシーン。
・置物のように動かない。
・知識量が膨大で頭がいい。生き字引。

ぶっ飛んでいるけど、空気乱さない。
マリー・アントワネットのような衣装のわりに、庶民感覚を有している。
喋り倒しているのに、視聴者をイラっとさせない。
この人って、「変人」と「普通」で個性が相殺されている。

死ぬほど話を聞いてきたのに、印象に残る言葉や、嫌いな言動や行動がない。
嫌われると終了な、テレビに必要なものを兼ね備えている。

子供時代はADHDだった、と言われると「??」
大人になってからは、口に全振りしたのだろうか。
原作でも、お転婆ではあるが。恩師との出会いを切っ掛けに、4時間で別人に成長するので益々疑問に。

トモエ学園の小林校長先生。いい声すぎて、吸い込まれる。頭がふにゃふにゃする、と思えば役所広司。
(レベチ)

[黒柳蝶]🦋
徹子の母。
1910年-2006年。
北海道生まれで、開業医の娘。
1927年に東洋音楽学校の声楽科に入学。
在学中に、新交響楽団の首席ヴァイオリン奏者・黒柳守綱の猛烈プッシュで結婚。
『窓ぎわのトットちゃん』で注目されて、
自伝エッセイ『チョッちゃんが行くわよ』を執筆。ベストセラーに。

教師の勧めで大学に入り、守綱のプロポーズが断れなくて結婚。徹子の影響で本を書く、と超能動的。

はい、天使。
こんな人の子供に生まれたら、そりゃ勝てるわ。
わたしだってチョッちゃんの子供に生まれたかったわ。

🪟〈中盤〉🪜🌳
[泰明ちゃん]📘
トットちゃんの親友で、小児麻痺。
わたしも、小児麻痺の子と一緒に育ったので、徹子に視点が近い気がする。
発達障害の友だちもいるけど、障害のない人と区別して接したことがないので、
逆に迷惑かけてきたかもしれない。
トットちゃんの無茶な行動で、ひやひやしているのか、子供時代の自分を回想してひやひやしているのか分からない。

記憶が重なる部分が多いけど、良かれと思った行動で相手に泣かれたり、逆に「障害者」とののしられた記憶しかないなぁ。
いま冷静に考えると、ASDの傾向があるだけで、とくに目立った障害もないし。
障害のある人達と長くいすぎて、自分にもあるのでは? と思えてくるのは、子供あるあるか。

木登り。
何で子どもって木に登るのだろう。わたしも昼間登って、夕食の後に公園の木に登りにいくような、尋常じゃないくらい登る子だった。
家の中でも忍者のように登り続けていたけど、無関心の影響で一切叱られなかったので、助かっていた。
(自分が親だったら、壁を汚されるのが嫌で、叱るかも)
お陰で基礎体力が鍛えられたので、いまの神経の行き届き具合や、反射神経にプラスに働いている気がする。

劇中で「いらっしゃいませ」って台詞があるけど、木の上が居場所だったのかも。
(秘密基地のように)
原作だと生徒1人ひとりが自分の木を持っている。

うちの近所の公園。ブドウ棚が設置されていて、よく登っていた。
とはいえ、梁(はり)を移動するような無茶はしなかったので、野生の感が働いていたのかも。
(劇中だと、トットちゃんが命知らずで、日本アニメの伝統芸)
いまの若者でも公園の面白さを力説する人がいるから、体を動かす充実感は脈々と受け継がれている。

🪟〈終盤〉🪖🔫
トットちゃんの視点への違和感。体を動かす競技で、障害者を区別した無用な気遣い。認識の本質へと迫ってゆく。

……とは言え、わたしも散々「接客プレイ」や「介護」してきた口だからなぁ。他人のこと言えない。
怒られた記憶がないので、周りの気遣いだったのかも。
むしろ、初心者に技術指導もせずに「勝ちたいぃ」とボコボコにする熟練者って、頭おかしいと思う。
徹子の思い出は記憶と重なる部分が多くてひりひりする。

楽園の終わりに向かって。
当時の時代背景や、反戦的なメッセージで、
『火垂るの墓』を見ているような気分に。
太平洋戦争が描かれるたびに、「またこれかよ」って気分にさせられるので、表現の世界においては、大マイナス。
戦争なんてしない方がいい。
何十年経過しても繰り返し、神妙で退屈な時間に付き合わされる。
何も面白くない。

【映画を振り返って】🎻🍱
児童教育。
まともな人の側にいると、まともな子に育つ、のような大人の影響力の話。
効果的に機能して、人格が変化してゆくので、昔気質。懐かしいつくりだ。
昔はキャラの成長を描くのが定番だったから、1冊通して性格は変化するもの。
その分、人格が完成するので、個性が失われて、2冊目、3冊目では同じ手法が使えない。
いまの時代は性格が変化すると、別キャラ扱いなので、ほぼ見られない。

児童への接し方の手ほどき。
やり方次第で相手が変化する。「努力すると成果がでる」と考えれば、危険思想ではある。
素直で影響を受けやすい八鍬監督だと、しっくりくるのだろう。

――その辺も含めて正直、この映画、今一好きになれない。

☔泰明との友情。
本作の一番の特徴で縦軸。ロマンスのようにクローズアップしてある。
(ドラえもんとのび太君)
原作にある場面をこってり映像化してあり、監督の実力が存分に発揮されている。
逆に、オリジナルで追加されている場面は、有名な映像の再現。
幻想的で、介護の世界を美化して描いてあるのが嫌だった。

わたしもよく、子供の頃を思い出す時、「あ~、もっと愛情を持って周りの人に接していればよかった」と後悔のようなものが滲むけど、
原作の「窓ぎわのトットちゃん」を読んで、徹子も他人に囚われてなくて、救われた気持ちがした。

子供には何もかも新鮮で、生きるのに夢中で。
気ばかり使っていられない。
大勢の人と付き合って、集合体のような存在。個をそんなに掘り下げて見ていなかった。
草野球、メンコ、キン消し、木登り、秘密基地、プラモデル、かくれんぼ、陣取り。
いつも周りに友達や兄弟がいたけど、遊びに夢中だった。

原作の方は、人間味があって、桁外れの面白さ。
3人称で書かれているが、徹子の大人への反骨精神や欲望が漏れ出ていて、まったく客観的じゃないのが、ボケたがりと、セルフツッコミの魅力に繋がっている。
徹子の解説が入るので、理解も進む。
(ADHDじゃなくて、赤松小学校の担任が嫌いで、授業妨害していたように感じた)

映画の方も引きの絵が多く、
原作の、コミュニティ全体が1つの生きもとして動いているような。団体競技のような横の繋がりを表現しようと努力した痕跡は残っている。

・愛情があるけど、男気もある。どっしりしているけど、頓着がなくて軽い。
・お喋りで1人ラジオ放送局。愛情もストレスも夢も全部詰まっていて、うつ病になりやすい人の脳内。小宇宙の膨大な情報量に圧倒される。

映画だと、姉御肌にコンパクトに集約されている。
監督側からすると、トットちゃんの目線で描きたかった思惑があるだろう。
子供向けであり、記憶の中の風景の映像化が主。
原作への入り口としては優れているので、それでいいのか。
無垢な子供として美化して描かれる分には、徹子も嫌な気持ちはしないだろう。
それこそ、チョッちゃんを思い出し、タイムマシンに乗った感覚が得られたのかもしれない。
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