メザシのユージ

ミッシングのメザシのユージのネタバレレビュー・内容・結末

ミッシング(2024年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

2024/05/17
立川
(27本目)

行方不明になった娘とその両親、母親の弟。その家族を取材するテレビの記者。いろんなテーマのある物語だった。その中で、「無責任に誰かを攻撃する」ことの怖さと嫌さが強く心に残った。

母親は娘が行方不明になった時に、アイドルのライブに行っていてそのことをSNSで叩かれる。テレビは自分達が望む形である人を追い詰める。街中では他人同士が歩きスマホのことで口論してる、スーパーでは客が店員をどやしつける。
 
皆んな何でそんなに誰かを攻撃するのだろう。自分も人間なら、相手も心のある人間なのに。攻撃する人は自分が正義だという立場から一歩も動かない、自分が誰かを傷つけたり、間違いを犯すこともあるということを自覚していない、その怖さ。

SNSで攻撃されたり、イタズラに翻弄されて心が壊れそうになる母親。
2年経ち、娘のいない生活が日常になる。苦しみが無くなったわけではないが夫婦の生活は続いていく。

母親は日々の生活の中でみかんの美しさに気づいたり、娘が描いた壁の絵を窓の光が照らすのを優しく撫でたり、そして彼女の心は少しずつ回復していく。ラスト近く娘と同じように行方不明の女の子が助かり、その子の母親が協力したいと言ってくれたシーンは涙が出た。人間はもうダメなのかと思ってたところに、少しだけ希望が持てた。


半年後の母親は気が狂わんばかり、Twitterを見るのは自分を罰する意味もあったのか。何かにすがることの難しさ。

思うのとぶつけるのは違う

メディアは自分たちは正義だという立場から一歩も動かない、誰かを傷つけてり、間違いを犯すこともあるということを自覚していない。その怖さ。事実を全て流すことが良いこととは限らない。


娘の思い出を語るうちに虎舞竜の歌詞になるとか、怪しい人に話しかけられたとか、鼻水いっぱいでるね、とか急に笑いを突っ込んでくるのは「どんな時でも笑いはおきる」ってことなのだろう。

2年経ち、娘のいない生活が日常になる。苦しみが無くなったわけではないが、生活は続いていく。



みかんの美しさに気づいたり、
虹のプラズマ、娘の壁の絵を撫でたり少しずつ心が回復していく。




人間はもうダメだと思った最後、娘が見つかった母親が協力を申し出る。ものすごく人に希望が持てた。

弟が犯人を見つけるのか?と思ったがそんなことはなく、ライブに行ったアイドルと曲が流れる中、母親と弟、娘の行く不明に関わった人達があつまる。弟も連れ去りにあっていた。たぶん、カジノも一度しか行ってない。

これから「ミッシング」観に行くのだけど、映画に関するコトで前々から思ってることが。

具体的な事件だと山梨県のキャンプ場で、小学生の女の子が行方不明になる事件あったでしょ。

3年後ぐらいに、その子の骨と思われるものが見つかったけど、その間の両親はどんな気持ちで毎日を過ごしていたのかなーと。

娘ちゃんを決して忘れることはないし、思い出しては胸が張り裂けそうにもなるだろうし、「どうして」と後悔もするだろうけど、それでも自分の人生は毎日続いていくわけで。

時には友達と話して笑ったり、美味しいものを食べたり、そういう何でもない自分の人生を送る上では、いなくなってしまった子供のことを考えない時もあったのかな。

考えないから残酷だとか、酷い親だって話じゃなくて、考えない時もないと生活できないだろなってね。

なんか「ミッシング」心やられそう。でも、負けないゾエ!

あなたが経験したことは悲惨なことなんだから、ずっと悲しんでいなさいって、それ自体が無理な話よね。

ものすごーく辛いものを抱えてても、人は笑うしね。

この人と話してるときは、悲しいことを少し忘れられるって相手もいるだろうしな。

もしも、身近にそんな人いたら少しでも心を軽くしてあげたいって友達なら思うだろうしな。

なんだろう、生きることに絶望したくないのかな、どんな辛いことあっても。

でも、わかんないね、いざ自分がそうなったら。

見る前から心がザワザワするぜ「ミッシング」(笑)


今日の夜、「ミッシング」行くけどさ。
ライムスター宇多丸が、吉田恵輔監督の話は「(起きた事件や出来事に)折り合いがつけられない人がよく出て来る」と言ってた。

物語の中で、折り合いつけられた人は退場していくと。

言われてみたら「空白」の古田新太も、娘を亡くしたことに折り合いがつけられない父親の話だったねー。