矢吹

ミッシングの矢吹のレビュー・感想・評価

ミッシング(2024年製作の映画)
3.9
事実が面白いんだよ。
そうなんだよな、厳密にいうならば、
自分に関係ない事実は面白すぎる。んだろうな。
自分にとって都合のいい、1番面白い事実を探しちゃう。インターネットは特にそうだしね、最近の有名歌手と有名女優の話とかも含めて。

当事者の、さとみと旦那。あと弟。
その周りにいる、倫也、カメラマン、地域の人たち、会社の人たち、テレビ局、ネット、それぞれの事件の円心との距離感によって出る言葉が変わるし、
過ぎゆく時間で、それぞれの世界と距離も当然、また変わる。
もちろん、さとみとむねたかだって、自分らのこと以外は、気を抜くと、他人になれちゃう。他の子の事件の、どう考えても、母親が悪いだろ。とか。
問題は当事者意識。
一番手軽にたくさんの人の声を聞けるようになったのに、そのおかげで、一番他人行儀になった世界で。
いつからこんなに世の中狂ったの。
っていうのは、案外、大人になったら、いつの時代でも、みんな思うというか、気づくものなのかも知れない。世の中は元々狂ってた。
子供をそこからいかに守れるか、または、自分が守られていたか、大人の責任。
人間なんて、魔女狩りとかもやってたんだもん。
正気で判断しないと、ダメになるんだよ。
文明が発達しただけで、人が別に進化したわけじゃないんだ。きっと。

被害者である姉に向かう、ネットの誹謗中傷。
イタズラ電話、消えたアカウント。
現代的な顔の見えない暴力。
容疑者とされた、弟には、めちゃくちゃ直接的な攻撃、投げ込まれるボール、車のライト、倒される自転車。まで。
追いかけてボコボコにされる、包帯で巻かれた指。は、彼の自分のやり方も、もちろん、不味かったけどさ。
正義を盾にできると人は、ここまで何でもできるのかってやつだ。日頃から、自分が悪者にならず、誰かを傷つけたいと思ってる人も、なんか、ここぞとばかりにいるわけだし、ネットの匿名性と暴力性云々もずっと変わらない。
正義で判断すると人は争う、正気で判断しないといけない。という、かの大林宣彦御大の言葉もありますから。

テレビってなんのためにあるんですかね。っていう、キー局落ちた、地方から、都会に行きたい女の子も良かったけど、
特に、中村倫也さんのスタンスが、常に気がかり。
出世していく後輩。
後継者になりたいっす。という、二次採用の言葉。
消えたアザラシ。自分の仕事が与える世界への影響。違法カジノの娘。
報道のただしい形との葛藤。報道姿勢。
どんだけ可哀想でも、カメラ回さなきゃダメでしょ。ってのとか、もあの男の弱さだし、
意外っすね、絶対見つかる方かと思いました。
は確かに意外だったっすよね。
一見、人に寄り添う報道を心がける人間が、人を食い物にする人間よりも、何かいいことがあるというのが、普通の物語なんだけど、今回はそういう御伽噺では全く無い。
むしろ、そういう種類のレッテルを、こちらが貼って待ち受けていた彼への期待と視線は、見事に裏切られることにもなるでしょう。
この辺は、ちゃんと、いい意味で、吉田恵輔さんのいやらしさだと思うけど。
正義の男への違和感と、その真人間が、本当に何もなかった。で終わる。

再び起きた類似の失踪事件。
その子が見つかった。
その瞬間のさとみの涙。
その瞬間の報道部の嵐。
その瞬間の中村倫也の立ち尽くし。

他の女の子を探すことに対する熱量とか、
誹謗中傷に対する態度とか、
弟への心無い徹底口撃とか、
前倒しの誕生日ケーキとか、
演技指導してみたけど諦めたりとか、
砂田さんしか頼れないんですとか、
足元からお尻にかけての視線、
人が壊れる色んな入り口だけは確かにあったけど、
最終的に、みんながちゃんとマトモで、
それ故に辛かった。
公園での弟に対する取材中の構えの変化。歯に絹着せない質問の仕方。
虎舞竜。
他の家族をみて涙ぐむタバコ。
歩きスマホの喧嘩と、街のもっとヤバいやつ。
みんなそれぞれの、感情的な瞬間。
暴走の前に踏みとどまる。
完全に人間をぶち壊してもいいタイミングで、ブレーキが割と効いていた気がする、
吉田恵輔さん。
今までの作品から考えると、もっと人の心が、行くところまで行ってたとも思う。
弟の職場の男の、コンクリで埋めてやろうかな。とかは、怖いんだよ。報道の編集中の、この繋がりは悪意あるでしょって、誰が言ってんだ。って場面もあるし、
二度と野球を見れないよ、と嘯く先輩。はのうのうと野放しになったけど、カトウシンスケさん。
前作の、神は見返りを求める、ぐらい人がボロボロになる。暴走した人間のとんでもない顛末を見届けられる映画を期待もしたけど、これもまあ、自分とは無関係の最悪の事実を探した俺の浅はかさかな。映画には許してくれとも思うが、今回の主題は、そこじゃなかった。
人間の復活にまで手が届く。大人だ。
甘夏越しの日光。家の中の虹。
誰もいないスタジオ、海、街路、
ちょっと、立ち止まって深呼吸するようなショット。まず目の前にある世界とは、ちゃんと向き合いたい。
失った後に、拾い集める。ちゃんと立って歩くバランスを探すまでの物語。
後戻りはありえないから人生。
最後に、自分で唇ブルブルできて良かった。
今もどこかで震えているかもしれないあの子のことを考えると、そりゃまあ、果てしなく、やりきれないんだけどさ。誰にとっても、終わったわけでは決して無いはずなんだ。ミッシング。

そして、なかなかに、手の映画。
人間の生活を撮ってる時点で、まあ、手とか、例えば水とか円環なんて、いくらでもこじつけられる要素ではあるんだけど、流石にアップが多いから。一旦ね。
狂気にもなる、薬にもなる。
握手も、一方的に触れるも、2人で支えるも。
もういない温もりを探すも。
ネットの書き込みも。
背中の傷に塗りにくい薬も。
虹を見つけて、影を撫でる手も。
多種多様な意味を持って切り取られる。
誰が、どう使うか。

おばあちゃんの美保純。 姉弟2人で聞く、3年ぶりに地元に帰りましたっていうラジオのメール。の、実家というあるようでない存在感も愛おしいけど、
架空のアーティストblankさんの、楽曲も、絶妙になんか文句つけたくなるのは、吉田恵輔さんからのエサとする。
音楽とラーメン屋はめっちゃ近いというか。
何系のラーメンにどんな色をつけるか、みたいな、パクリでもパロディでもパスティーシュでもない、歌っていう文化の話。
みんなの、それぞれの地元の味とか、家の近所の味で、本来いい。いいんじゃないの。
最近の高校野球のテーマソングの話もありましたけどね。
と言うと、十分パスティーシュになる可能性もあるのか。可能性はゼロじゃないでしょ。

あと、石原さとみさんの女優としてのステージの話。
まさみ、ガッキーに続いて、社会派の、所謂、演技派に向かう、何段階目かの場所。
元ヤン姉ちゃんのパワー。とか、ちょっと我儘になっちゃう瞬間の、積み上げてきた人間性が活きてくる部分の深み、面白み。
旗持ってる時の、子供に反論する、お姉さんね。がなんか、一番板についててサイコーでしたけど。
その上で、今やってるドラマのデスティニーやばいっすよ。それでも尚か、知らんけど、合わせてみるべき同時代のさとみな気がしている。
矢吹

矢吹