矢吹

悪は存在しないの矢吹のレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.2
水は上から下へ流れる。
問題はどこで発生するか。
今回の上流にあたるもの、とはどこにあったのか。
というと、クライマックスだけの問題となると、実は、今回のグランピング施設の件が決定的な引き金でも別にない。とも思う。
もちろん、どれか一個に依存せず、全てに糸は結ばれているという話。
悪は存在しない。
悪は存在しないのに。
信じたいもの、きっと僕の私の希望に辿り着くルートは限りなく薄くて、悔しい。

見上げる木々のショットは、はなちゃんとの関係性が深い。彼女が森の中にいるときに差し込まれる。3つ、はあったと思うけど、最後含めて。ゆっくり閉じていく画面。

森の中に迷い込むかのように。見えた、我々目線でもあるようにも思えた面で言うと、冒頭から誘われる。
結局ね、都会のビルじゃ、なかなか遭難ってできないもんな。
川から空から都会の電車へ移り変わるショットまで。
確かに、東京ってこんなにビル作って、何がしたかったんだろう。今も続く建設は何のために行われてるんだろう。まだ足りてないものって例えば渋谷にあるのかな。余りまくってるほうが問題なんじゃないのか、と言っても、この映画は、東京のビルでしかやってなかった。
見せるべきところが、むしろそこだと言う。あれか。
それがなければ、この映画は存在しないか、
これだって流れの中にあって、何が下流なのかは知らないけど。
とにかく、あの山で起きた問題は、こうして、下流の俺たちまで届くわけだ。

印象深いのは、親と子の、山の教育。
山は経験が、ものを言うから。
都会の喧騒や速度から、離れるための、グランピングというでっちあげ。
都会的に語りやすい、現代の流行、インターネットのスピードよりもはや圧倒的に速い、故に遅くもあるというか、別のスケール。
目の前の温度と命に対する、瞬間の、生の対応。
触るな。棘がある木、なんだっけ、タツギみたいな。
つまり、目の前の事象とコミュニケートするための、効率に当てはめない、時間を無視するための深呼吸であり、それこそが意識の最高速度。

ズームで会議して、直接も見て触れてなけりゃ空論に過ぎないっていうわけ。
そこまでバカじゃないですよ、は、お前に言ってんだよ。
目先の金欲しさか。自分のパーソナルスペースを守るためだけのものか。
コロナの助成金
グラマラス+キャンピングだよ。
誰かが割を食う。か?
コロナはどうだ?
どこに流れるか、その責任は持ってるのか?

ただ、どうしてもこの映画を見てる間中は、こうして都会側にヘイトが傾く。
都会どうこうよりも、田舎と都会の対立じゃなくて、自然と人間の対立で考えるべきなんだろうけど。

薪割り、水汲み、思い出す、全部忘れちゃうじゃないですか、お迎え、森。
のテンポは一定。繰り返し。
何でも知ってる便利屋のいつもの生活。と、山の新参者たちと過ごす、同じ行動。後半の流れ。
手負の鹿。撃たれたのは、鹿猟。
引き金は鹿猟か、楽器に使うための鳥の羽か。
山の中だけでも、起きうる事故。
はなから、みんなよそ者なんだって。
大事なのはバランスだ。

上で起きた問題は、やがて、確実に下まで届いて、争いが起きる。
ドアを何枚締めたって、コンクリートに囲まれたって、何十キロ山を登ったって降り立って、人間の社会を、どこかで完全に分断することは不可能。そこに人がいる時点で人間と無関係な場所なんて有り得ない。
上に住んでるものの責任。
物理的な地理的な山と都会みたいな上下もあれば、人間関係の、コミュニティの上司と部下みたいな上下もあるし、親と子供という上下もあり。
水は低きに流れ、人は易きに流れる。は孟子の性善説だって。
あとは鹿のね、象徴性とか、完全に無視していきたい気持ちもあるけど、
人は易きに流れる。に関しては、
照応して触れざるを得ないほど、
まさにそれを体現したような、道化の男がいらっしゃる。
どんどん笑っていい人間になっていく、
悪は存在しないから。
都会から、山へと向かう車内の会話が、あの2人を、一気に人間たらしめた。
マッチングアプリと転職、心が壊れる前の状態。お前って言わないでください。みたいな、今の社会のあるあるに則った東京の社会人。
愛すべきバカ、こっちだったんだなあじゃねえんだよ。
薪割りのロングテイク。
すぐにしっくりくる男への、違和感の視線と、蕎麦屋の会話。
現代を俯瞰で拾い続けて、人の心をめちゃくちゃ丁寧に構築できるのに、できるから、それをまた、見せない視点を用意する周到さが半端ではない。濱口様。
誰もふざけてない笑い。がある。
ふざけた生き物はいるけど、普通に世の中に存在するし。
偶然と想像が、そうだったけど、映画館でちゃんと笑いが起きるのよ、今回もめっちゃウケてたし、すげえよな。

ついでに、偶然と想像に関して、悪人不在の映画だとも感じてた、らしい。俺。前のレビュー見たところ。
おそらくはそのずっと前からやってきたこと。
そこを、ついに、大々的にとりあげて、完全にフォーカスして語られたゆえの、展開と、終わりっぷりにも、なるんだろうけど。
ついでというか、戻ってきた根本か。

あの音楽と、見たことのない煙。
くさそうに通過するはなちゃん。
女の子の背丈を遥かに凌ぐ自然の景色に包まれた、背中合わせ。
黛さんにとっても、同じだったけど、
「ぼく夏」さんの、変則的なエリアの固定カメラよろしく。
それと、頭蓋骨から見たカメラとかも、趣。
虫でも動物でも木々でも葉でも視線や命と共存している。囲まれている。
霊魂というと軽いけど、自然というその環境に生きる人たちの目線。見送る姿。
並走する森。
カメラ目線の対峙と、
セリフがスッと入ってくる、無機質。
ドライブマイカー。

だるまさんが転んだのシーンの音楽がなんかめっちゃ奇妙だった。
はなちゃんは遊びには加わっていない。
静止の画面は面白い。学校の子供達との距離感。地球儀の回転による分身もめちゃ楽しかった。

ゴダールみたいなタイトルの始まり方は、追悼かなんかですかね、そもそもフランス方面あるあるなんだったらごめん。
矢吹

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