孔雀のホームシアター

ぼくたちの哲学教室の孔雀のホームシアターのネタバレレビュー・内容・結末

ぼくたちの哲学教室(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

人間はなんと醜いことだろう。
「あいつが引っ叩いてきたんだ、だからやり返した。」
何が気に入らない?ーー全部。
「ネトゲーで、自殺しろと言われた。」
これらは彼らがまだ未熟で、思春期に差し掛かる不安定な情緒をコントロールできずにいるから生じる諍いなのだろうか。
彼らは、そういう行動を取ってはならないことを知らなかったのだろうか。
いや、違う。
この衝動は、全ての人間に遍く生じるものだ。
現に平和の壁を隔てて二つの宗派が対立し、彼らの祖父母、両親、それどころか兄弟姉妹さえもが経験した悲惨な事態がそこにあったではないか。
歴史と言われるにはあまりにも年月の経過が浅い出来事を
思い出しては誰もが、その悲痛な記憶とともに二度と繰り返すべきではないと口にする。
しかし実態はと言えば、怒りの制御が効かない子供と同じことをしているのだ、我々は。私はこのことを醜いことだ、と言う。

では人間はその本質故に生涯、醜いままなのだろうか。
これにも違うと私は答える。
彼らは、私たちは、立ち止まり、悩み、そして学ぶことができるのだ。
子供たちの諍いを諫める先生たちは常に正しく、そして惑うことなく彼らと向き合ってこられたのだろうかーー決してそんなことはない、彼らも子供たちと異ならない次元で悩み、模索していた。しかし、彼らは対話という実践を、子供たちへの愛で以て貫いたのだ。
これは哲学という名でその姿を現した。
「私は、哲学がこの学校を突き破り、それぞれの家庭へ入り込んでいくことを望みます。」
哲学とは生に結びついた諸問題の解決を図る営みでなければならない、と私は考える。人は、社会は、生きるほどに多くの問題にぶつかり、解決など永遠の果てに遠のく。しかし、その度ごとに我々は立ち止まらなければならないのだ。この立ち止まった時間、すなわち思索というのは、決して虚しいものではない。その問題に誠実であればあるほど、人は本来持つ温かさを取り戻し、本来の美しさを取り戻すことができるのだろう。

人間とは極めて醜い存在である。
「それでも、僕を愛してくれる?」「もちろんだとも」
しかし、その醜さを克服しようとする姿に、そこで失われない愛に私は、人間としての美しさを見出す。