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私がやりました(2023年製作の映画)
4.0
 1930年代、パリ。新人女優マドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)はようやく役にありつけたと思った途端に映画プロデューサーのセクハラに遭い、すんでのところで逃げ仰せたものの、その日の午後に刑事がやって来るというノワール・サスペンスとしては絶好のスタートである。その日彼の家を訪ねたのはマドレーヌのみで、彼女の不明瞭な対応から殺人の嫌疑がかけられた。マドレーヌは、プロデューサーに襲われ、自分の身を守るために撃ったと自供。親友でルームメイトで駆け出しの弁護士であるポーリーヌ(レベッカ・マルデール)はマドレーヌに狂言回しのような台本を用意し、正当防衛を主張するよう指示した。女優が私生活でも女優ばりの大立ち回りを演じる様子は、まさにフランソワ・オゾンの前作『苦い涙』のような主人公の舞台演出家の幕間ものの趣がある。法廷に立ったポーリーヌはその演技力と美貌を活かして人々の心を揺さぶる陳述を披露し、裁判官や大衆の心をつかみ、見事無罪を勝ち取るまでが前段で、現代で言えば最高の炎上商法なのだろうが、マドレーヌとポーリーヌのシスターフッド的な連帯が大衆の心を動かした一種の茶番劇なのだが中盤、往年の大女優オデット(イザベル・ユペール)の横槍が入る。

 軽妙洒脱にして、スクリューボール・コメディのようなフランソワ・オゾンのあしらいはまさにジョージ・キューカーやエルンスト・ルビッチを彷彿とさせる。ハリウッド往年の時代への倒錯的なオマージュでありながら、オゾンは明らかに映画プロデューサーのセクハラをワインシュタインの性加害に絡ませる。100年前の出来事でありながら、妙にリアリティのあるストーリー・ラインにありえない風刺的な展開を交差させる辺りがフランソワ・オゾンの意図で、今作は家父長制を痛烈に批判した『8人の女たち』や逆に家母長制を前面に押し出した『幸せの雨傘』と3部作と本人は言っているらしいが、あながち大袈裟な嘘とも思えない。イザベル・ユペールの登場はノジエール事件を題材にしたクロード・シャブロルの『ヴィオレット・ノジエール』への目配せで、彼女そのものはのちのシャブロルの『主婦マリーがしたこと』でも『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』においても、旧態依然とした家父長制を痛烈に批判するような美しき女闘士を演じていた。ブロンド女優とブルネットの駆け出し弁護士という2人の女たちのシスターフッド的な連帯は、突如自らの犯罪だと主張する往年の名女優が混じり合うことで混迷を極める。今作の原案は1930年代の戯曲のようだが、あらかじめ決められた翻案を脚色することに長けたフランソワ・オゾンの妙味が遺憾なく発揮された男と女にまつわる皮肉めいた物語である。
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