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落下の解剖学のbluetokyoのレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.0
男はつれえよ(ただし男性と女性が逆転していることに注意しなければならない)、ということか。この映画は法廷劇映画だけど、暴きたいのは、いや、暴かれたのは、事件の犯人でも真相でもなく、ジェンダーバイアス、なのかな。裁判のシーンでは、なんだ、このモンスターおばはんは、こええなあ、こいつが犯人に決まってんだろ、などと思ってしまうわけだが、これがまったくのトラップだったことに気付かされてしまい愕然としてしまう。終盤になって、あっさりとはしごを外されてしまうわけだ。

それにしても、サンドラというおばはん、すごく身近に感じてしまう。昔、おやじギャルというのがいたけど、サンドラは、まさに、おやじおばさんなのである。冒頭の若い女性インタビュアーがサンドラの好みのタイプらしくて、ネチネチしたサンドラの話っぷりが本当におやじなのだ。お互いに質問しっこしようとか、別の場所で話ししようとか、粘着ぶりがキモイ。まあ、ひとのことは言えないけど。

最後の裁判の打ち上げ食事会は、日本の居酒屋風、というか、居酒屋だよね。これも、おやじだなあ。こんなところでぐでぐで酔っ払っちゃうというのがなあ。

サンドラと夫のサミュエルとの夫婦喧嘩。ここでは、完全に、男性、女性が、逆転している。サンドラが男性の立場でサミュエルが女性の立場である。かれらの夫婦喧嘩によって、女性の立場がいかに不利であるかが、明かされるわけである。
サミュエル。家の中も外も自分がやっていて、これじゃあ、自分の時間がないよ。ひどいよ。と、訴える。この場合は、共働き夫婦ということだ。
サンドラ。なに言ってんのよ、こっちが強要したわけじゃないでしょ。それに家事だって育児だって、分担してやってんのよ。息子の送り迎えもやってんじゃないのよ(気が向いたときだけ)。こっちは、小説、書くのに忙しいんだから。
サミュエル。そんなのウソでしょ。みんなワンオペじゃないか。
サンドラ。ええい、まだ文句を言うか。それなら、こうしてやる。ドス、バシ(殴る音)

サンドラが、裁判から解放されて、自宅に帰ると、息子のダニエルが、なんか、怖い、と言っていたのは、サミュエルが追い込まれて行ったことが、当たり前のように、個人的なこととして、忘れ去られようとしているからなのかな。
それにしても、サミュエルの存在感の希薄なこと。

サンドラは、小説家としての社会的なステイタスがある。だから、小説家の仕事に打ち込むのだ。その分、ほかの家庭内での責任は、すべて、サミュエルに押し付ける。あなたも小説家を名乗っているけど、そもそも、社会的ステイタスがないから、それを優先されては困るのよ、というわけ。
でも、そもそも、その社会的ステイタスってなんだ? 収入? これは、男社会での仕事、ということなんだろうな。
仕事に対する男女比が、一対一でないのは、実は、それが理由だったりして。
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