おそば屋さんのカツカレー丼

落下の解剖学のおそば屋さんのカツカレー丼のレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.7
『落下の解剖学』という意味深かつ印象的なタイトルから、私は安直にもマチュー・カソヴィッツ監督『憎しみ』の「問題なのは落下ではなく―着地だ。」というエピグラフをなんとなく思い起こしてしまうのだが、観賞後には、その想起が案外的外れではなくて、この作品はエピグラフの文脈を逆転させ、徹底して「着地」ではなく「落下」を明らかにしようとする様を描いていることに気づく。
少なくとも作中で、サミュエルの死を悼み、弔う人は誰もいない(母国フランスが舞台であるのに、不自然なほどに彼の肉親は一度も登場しない)。あっという間に作中の登場人物、引いては観客の興味は「着地」から「落下」へと移り、まるで地面に激突した死体が腐っていくのはそのままに、どうして、どのように落下したのかについて明らかにするために、延々と議論を戦わせているかのようにして、物語は進んでいく。そう考えると、記憶の確かさや、言葉の意味にこだわって揚げ足を取り合い、ましてやいくら本人が録音していたからとは言っても、夫婦の問題や彼自身の抱えるものを白日の下に晒すような、長く続く裁判がひどくナンセンスなものに見えて仕方がなかった。
まるで名女優フランシス・マクドーマンドかのような、表情は変えずとも、秘めた鬼気迫る何かを表出させるザンドラ・ヒュラーの演技や、裁判の勝敗を握るダニエルの心情を微細に映す演出も光るが、サミュエルというキャラクターの不憫さにいたたまれない気持ちになってしまうのは私だけなのだろうか。