まず、この映画は殆どのシーンで二人以上が会話しているので、視点人物存在しない。
サンドラの夫に何があったのか、死因は何なのか。肝心な部分は映像として映されないし、誰がどこまで真実を述べているのかを確認しようがないので分かりやすい絶対的な真実は見えてこない。
夫婦関係や日常生活の噛み合わない部分が手の付けられないくらい広がってしまうと、長所だと思っていた点も短所に見えてきて、そんな収集のつかない様子が裁判で公開されてしまうカオスが展開されていく。
検察側が明らかにバイセクシャル等に対する偏見からサンドラを犯人に仕立て上げようとしているのも酷いけど、とにかく全てが推論でしかないので何も進展することはない。
裁判で重要なのは事実ではなく、どうすれば裁判員を納得させられるか。そもそも、最初からこの社会は事実を基にして構成されてはいない。性差、刑罰、労働、政治、経済。
ストーリーは実存とは別の位置にある。でも、人間関係や社会構造の温存にはストーリーが必要。ストーリーの解体と実存の回復。この映画はある人間の死に対する曖昧な真実を通じ、この社会の輪郭自体がぼやけていることを問う意欲的な傑作だ。