マインド亀

枯れ葉のマインド亀のレビュー・感想・評価

枯れ葉(2023年製作の映画)
4.0
こんなにどうしようもない世界だからこそ、小さな小さな幸せを

●アキ・カウリスマキ監督作品を、初めての鑑賞。
事前に作風は知ってはいましたが、無表情、棒読み、NO演技、NOドラマティック演出は、こちらの想像以上でした。ですが、嫌いじゃない…!

●幸せの国フィンランドにおいても、底辺の肉体労働者はたくさんいて、職を転々としています。もう中年になったアンサとホラッパは、孤独と問題を抱えながらも、名前も知らないまま惹かれ合い、会えなくなり、そしてふいに再会し、また別れ、再び再会しようとするのだが…というお話。ドラマティックなことは起こらない…もしくはドラマティックなことが起こっていても、全くドラマティックに見せないのです。それは、二人がとても無口だから。必要最低限の会話しかしないのですが、その一つ一つの、大切に紡いだような言葉が、我々観客に印象的に突き刺さってくるんですね。
それは周囲の人々も同じ。カラオケバーで歌っている歌手たちも同じ。無表情で淡々と悲劇を歌ってるのを観ている観客たちも無表情。もはやコメディのようでもあり、辛いことばかり起こってるような映画なのにずっとトボけたムードが漂っているのです。
二人が初めて出会い、その時観に行った映画が、アキ・カウリスマキ監督の盟友であるジム・ジャームッシュ監督の『デッド・ドント・ダイ』というゾンビ(コメディ)。ジム・ジャームッシュには悪いけど、私はこの映画を映画館で観て、ラストの投げっぱなしなオチに憤慨した記憶があるなあ…。そんな映画をやはり無表情で観る二人。なのに、映画館を出た二人は、「こんなに映画で笑ったの初めて」と大満足の様子なのも笑えるし、また、他の観客の「ブレッソンの『田舎司祭の日記』のようだった」「いや、(ゴダールの『はなればなれに』のようだ」と言うのも、どこまで本気かはわからないですが、すっとぼけてて爆笑。これを観て今考えると、『デッド・ドント・ダイ』、悪くない映画だったかもしれない…いや、良かったのかもしれない。もう一度観ようかしら。ごめんねジム・ジャームッシュ!

●ホラッパはアル中で、仕事中にお酒を飲んでいたのがバレて、何度も職を転々とします。アンサはスーパーの賞味期限切れの食料品を持って帰っているのがバレて、これまた職を転々とする羽目に。まあ流石にホラッパの飲酒は仕方ないとは思いますが、アンサの行為はいきなりクビにしなくても…と思うのです。幸せの国にフィンランドでも、義理や人情は無くなってるのでしょうか。そんなアンサは、ホームレスに賞味期限切れの商品を分け与えたり、殺処分されかかった野良犬を引き取って帰ったりする人情派。不寛容でコンプライアンスを重視する不寛容なこの現代においては、アンサのような人間は生きにくい世の中なのかもしれません。
本作は登場人物が心情を表さない代わりに、感情豊かな音楽がたくさんかかります。シューベルトのセレナーデ(のカラオケ)や、チャイコフスキーの『悲愴』、その他ラジオから流れる古い歌謡曲など…その中で「あれ?この曲日本語?なんかきいたことあるなあ…」と思った不思議な曲がありました。で、色々と本作の記事を読んでいると、雑誌「すばる」1月号に、書いてありました。京都で歌われていた『竹田の子守歌』でした。この歌、過去にくるりの岸田繁がカバーしていて、かなりのレア曲だったんで知ってたんですよね。確かテレビで一度歌ったのを聴いただけだったかも。
この曲の放送禁止曲としての複雑な由来を書くのは省きますが(『すばる』1月号を読んでください。京都シネマには記事が壁に掲示中)、労働歌であると同時に反差別曲なんですね。そんな由来を知ってアキ・カウリスマキ監督は使用し、貧困や差別は全世界共通のものだと伝えているのです。

●そして二人は危険な肉体労働に転職していくのですが、そんな悲劇的で辛い底辺の状況の中でも、唯一見つけた、「誰かを想う」という、とても小さな小さな幸せを噛みしめながら、孤独の時間に耐えているように見えます。(たまに悪口を言いながら、ですが。)
また、劇中では合間合間に、ウクライナの暗雲たる情勢が流れます。貧困の問題とともにまた、世界では戦争が起こっていて、悲劇がどんどん拡大しています。ここで、今の我々が住んでいる世界と地続き何だと思えるのと同時に、こんな世界を救うのは、身近にある小さな愛を見つけることだ、と監督が伝えようとしているような気がします。もちろん、それは恋人を見つけるといったことだけではないのです。なんでもないことに幸せを見つけることでもいいんじゃないか。ラストのラストに、アンサは初めて口角を少しだけ上げて一瞬微笑んだように見えました。アンサの笑顔は、それを伝えてくれたような気がするのです。
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