耶馬英彦

関心領域の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

関心領域(2023年製作の映画)
4.0
「住めば都」という諺の通り、人は住み慣れた場所に愛着を覚えるようになる。それは場所だけではなく、仕事も同じで、慣れてしまうとその仕事が好きになる。脳は作業興奮を覚えるから、もっと仕事が上手くいくように工夫したり、新しい方法や設備を試したりする。

 ナチ党政権を支えていたのは、勤勉な役人たちで、その真面目な仕事ぶりが、ユダヤ人の大量虐殺を生み出したと言われている。アウシュヴィッツの職員も、日本の入管の職員も、基本的に真面目で、自分の立場が悪くなることを最も恐れている。一方で、あわよくば昇進して、権限も給与も増えて、生活レベルが向上することを密かに夢見ている。

 本作品の主人公のひとりルドルフ・ヘスは、ナチ党の役人の典型的な人物だ。効率的に仕事を進めるのが好きなようで、大量の死体を処理する性能のいい焼却炉に感心し、早速取り入れる。極めて事務的である。保身にも余念がなく、地域=ゲマインシャフトに受け入れられるように、環境を大切にするように指導したり、SS隊員が不適切なことをしないように警告する。「東方生存圏」というナチ党の理念を信じている。または信じているフリをしている。日本の「大東亜共栄圏」と同じ幻想だ。

 もうひとりの主人公である妻は、夫の権力を笠に着て、おそらくユダヤ人と思われる家政婦たちを顎でこき使う。ときには八つ当たりの対象にもする。お前なんかルドルフに焼いてもらうぞと、脅しの言葉を吐く。心はいつも荒んでいる。
 ここはいいところだ。住めば都である。自分で家や庭を整備した愛着もある。時折聞こえてくる、タン、タンというピストルの乾いた音にも、もう慣れた。春夏秋の草花を大事にして、色や香りを楽しむ。冬の寒さは、セントラルヒーティングが和らげてくれる。

 ふたりとも、今日と同じ明日がずっと続くと信じて生きている。しかし不安がまったくないわけではない。リンゴの取り合いで川に沈められるのは、慣れたとはいえ、やはりおかしい。明日は我が身かもしれない。妻は毎日聞こえてくる悲鳴と銃声に、知らず知らずのうちに心を蝕まれている。夫は音楽家を招いた華美なパーティでも、効率的に殺す方法を考えずにいられない。

 時折挟まれる黒い画面や白い画面、黄色い画面、それに重低音の不協和音は、ふたりが心の奥に押し隠している不安と恐怖だ。何百万人もの死が隣にあれば、どんな強心臓の持ち主でも、影響を受けてしまうだろう。
 そして殺した者も殺された者も、歴史の彼方に埋ずもれてしまう。我々は歴史から何を学んだのか。そして何を学ばなかったのか。BGMの不協和音は、人類に対する警鐘のようにも聞こえた。
耶馬英彦

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