ナガノヤスユ記

クラブゼロのナガノヤスユ記のレビュー・感想・評価

クラブゼロ(2023年製作の映画)
4.3
カンヌ映画祭2023コンペティション、Galaプレミア上映にて。人生初のGalaスクリーニング。左右でシャッターを切りまくるプレス陣の間を、映像では幾たびも見たあのレッドカーペットを歩き、グランド・リュミエールの名を冠す劇場に入っていく。満員の客でざわつく劇場内に、監督やキャストが入ってきて着席するのを、全員のスタンディングオベーションで迎える。もちろん今はただの客として、だけど、それだけで不覚にも十分な感慨を得る。しかし何といっても、本編の上映が始まり、プロダクションや配給、セールスのオープニングクレジットが出てくるたび、場内から拍手や歓声が上がるのを目にした瞬間、危うく感極まった。ここは選ばれた映画だけがたどり着ける場所で、それ以上でも以下でもないけど、確かにここには、映画にかかわるすべての人を労うマインドが存在する。ニュースでよく目にする上映後のスタンディングオベーションも含めて、そのことが強く印象に残った。

さて、肝心の映画。ジェシカ・ハウスナー作品は初鑑賞。『ルルドの泉で』の予告がイメージフォーラムやらで流れていたころ、なにやら足しげく映画館に通っていたけど、結局作品は未鑑賞のままだった。

オーストリアの映画監督というと、やはりハネケのイメージが強い。本作もハネケほどの悪意は感じられないけど、とあるエリート私立校に赴任した女教師が、自分のクラスに参加する生徒たちを次第に開発 (洗脳) していく様を、なかなかに意地の悪い視点で描いている。整然とした空間の構成とカメラワーク、妙に鮮やかでグロテスクな色彩感覚は、ハネケとはまた異なるルックで、単なるオシャレ風とも断じれない、監督のスタイルが感じられる。
キャラクターは主に、女性教師を含めた学校側、生徒たち、その親たち、という分かりやすいグループに分けられるが、それぞれの内部と外縁の、微妙な人間関係の変化の描き方、整理の仕方はシンプルに上手いなと感じた。派手な事件はなかなか起きないのだけど、最後まで飽きずに見られる。
物語の肝になるのは "Eating consciously" もしくは "Conscious eating" と表現されるアティテュードで、いわゆるマインドフルネスの考え方に近いアイデアだと思うけど、それが次第に過激化し、生徒たちは最終的に "CLUB ZERO" と呼ばれる狂信的思想に囚われていく。
これだけ書くと、よくある洗脳もののストーリーラインなのだけど、特によくできていると思ったのは、教師の指導に染まっていくティーンエイジャーの生徒たちは、一方ではたしかに洗脳されているのだけど、他方では、それぞれに抑圧された状況から抜け出し、自律した自我を獲得している(と確かに感じられる瞬間が描けている)点。これはもうまさに、洗脳ってこうやって行われるんだな、としか言いようがない描き方なのだけど、どこかで自分の人生に絶望している生徒たちが、それぞれに自己認識と絆を深めていく様子は、見ていて嫌じゃなかった。基本的に生活に苦労することのないエリート私立校の生徒たち、という設定も既視感が薄い。そりゃまあ、マインドフルネスなんて上流階級にのみ許されたアティテュードだと言われればそれまでなんだけど。
そして、生徒たちが大変魅力的に撮られているのはもちろん、ミア・ワシコウスカ演じる教師が、必ずしも全知全能の指導者ではなく、自身も迷いと不安をはらんだ存在として描かれているのがよかったのだと思う。それによって彼女と生徒たちは、単に指導者と生徒という二項的な関係を超えて、共依存的な絆で結ばれていく。
その意味で、本作は小気味いいブラックユーモアも挟みながら、マインドフルネスやビーガンなどに代表される現代のラディカリズムを、いたずらに抽象したり皮肉ったりしているだけではない、真摯で、どこか美しささえ感じるような友情のドラマとして仕上がっている。

ちなみに、派手な事件は起きないと言ったけど、本作中には現地の関係者間で噂になるような、なかなかショッキングなシーンがあり、上映中多くの人は目を背け、同時に、演じた俳優の勇気にその場で拍手さえ起こった。
多分、女性監督でなければ変な問題を呼び起こしかねず、実際のところどのように撮影されたか定かではないけど、私自身、人生ではじめて見た光景だったし、日本での公開時にきちんとままの状態で公開されているか、それはもう一度確かめに行ってもいいと思った。
ひとつ忠告すると、人によっては、下手なスプラッターのグロシーンよりだいぶキツいです笑

ちなみに点数は、シチュエーションもあいまって結構ゲタはいてると思われ。