ナガノヤスユ記

脱出のナガノヤスユ記のレビュー・感想・評価

脱出(1944年製作の映画)
4.2
この上なくわかりやすい邦題がついているけど、原作はヘミングウェイの「持つと持たぬと」(To Have and Have Not)。ナチス・ドイツの実質的支配地域である1940年のマルティニークに、明らかに反体制的な釣船の船長が現れる。とはいえ男は政治に興味はない。フランス解放派が巣食うこの場所で、アル中の乗組員・エディを世話しながら、気ままに暮らしていきたいだけなのだ。ただし、時々権力をおちょくりながら。
事態が変わるのは、典型的なファム・ファタルでありながら、他を圧倒する異質な存在感をまとって登場するローレン・バコール(”スリム”)に出会ってから。二人の接近のきっかけが彼女のスリであるというのがまた粋。盗みの仕草でロマンスがはじまるのはルビッチの「極楽特急」と同じだ。
バコール演じるマリー ”スリム”は、その幻惑的な声質、腰つきとは裏腹に、意外にあっさりとハリーに対して心を開くものの、以降も彼女の言動は基本的に無軌道そのもので、それがまたハリーの心を一層掻き立てる。二人が泊まるホテルバーのピアノ弾き、ホーギー・カーマイケルとのデュエットが彼女の代え難さを再三際立たせる。
捉えがたい運命の女に幻惑され、体制同士の争いに対して文字どおり部外者として距離をとっていたハリーが次第にその渦中に巻き込まれていく様は、ある種典型的なノワールのプロットなのだけど、本作を包むのは重苦しい戦時の犯罪映画の空気というよりは、軽妙で小気味よく、常にユーモアを忘れない、まさしくホークス映画と形容するほかないアトモスフィアなのだ。だからこそ、終盤に突如烈しく炸裂するハリーのアクションが大きな感動を喚起する。あの瞬間にいたる導線、金のためでも大義のためでもなく、個人の主体的な倫理のために危険をおかす道程が、この映画を形づくっている。
カメラが大きく動くわけではないのに、人がせわしなく躍動と静止を繰り返し、キャラクターの感情の変遷と物語のダイナミズムが止まることがない。究極的には、ハリーが半ナチスの救世主を救いにいく決断へいたる根拠は十分に説明されていないと思う。しかし、その余白、霧の向こう、捉えきれない実体が、観客にとっては最高に心地いいものであることを、この映画は確信的に語っている。