このレビューはネタバレを含みます
基本的にはニューエイジ思想と深く結びついてしまった現代リベラリズムを風刺するブラックコメディ映画で、そのへんの意図はクラブが次のステージである絶食に進もうとする時に有色人種(アフリカ系とヒスパニック系だったと思う)の生徒2人が「いや食わなかったら死ぬじゃん」と超当たり前のことを言って脱会する笑えるシーンを見ればよくわかる。一人だけ貧しい家庭の子供がいるが、要するにこのクラブというのは裕福な白人層という現実の生活において貧苦や差別といった問題に直面したことのない傲慢(≒意識の高い)なマジョリティの薄っぺらい自己満足の場であり、環境問題や資本主義の搾取構造といった言葉はそのための道具に過ぎない。
現実に少しでも貧困や地球環境を改善したかったら自分の裕福な家にあるなんかを売ってホームレス支援団体に寄付するとか、砂漠の植林活動ボランティアに応募するとか、しっかり現実に根ざした活動をすればいいわけだが、クラブゼロの生徒たちはそんなことは考えることすらなく、自宅で手軽にできる絶食にハマり、あまつさえクラブを抜けるという現実に根ざしたきわめて正しい選択をするマイノリティたる有色人種の生徒たちに対して「意識が低いな〜」という態度さえ取ってしまう。そしてそんなバカな子供たちにリベラルな親たちは何を教えることもできない。
ここには生活や現実から切り離され、主としてSNSのようなバーチャルなエコーチェンバー空間での自己実現を「リベラル」なのだと思い込んで美化してしまう、現代の欧米リベラリズムの弱点に対する痛烈な嘲笑がある。要するに、あんたら現実で苦労したことないからそんなバカなもんハマるんやというわけで、これはオウム真理教の信者が生活に困ったことのない恵まれた人たちばかりだった、という話と通じる映画なんである。
副読本としてアビゲイル・シュライアーの『トランスジェンダーになりたい少女たち』を挙げておく。