耶馬英彦

瞳をとじての耶馬英彦のレビュー・感想・評価

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.0
 スペインと言えば闘牛とタンゴとフラメンコとパエリアとアヒージョとサグラダ・ファミリア。ワインもカヴァも安くて美味しい。ラテン系の人々は情熱的だとよく言われるが、当方にはよくわからない。情熱的という言葉の意味もあまりわからない。何をもって情熱的というのだろうか。少なくとも、ハロウィンやワールドカップのときに渋谷で騒ぐ人々のことは情熱的とは言えない気がする。

 本作品も難解だ。しかし読み解く鍵はある。それは記憶と時間だろう。22年前に失踪した俳優のことをテレビが取り上げたことをきっかけに、友人でもあるその男の過去を振り返る。それは同時に自分の過去を振り返ることでもある。
 若い頃に、浅はかで愚かな時間を過ごした人は、若い頃の自分を振り返りたくはないだろう。振り返るのに抵抗がないのは、若くして賢明な時間を過ごすことのできた偉人か、あるいは若い頃の自分の愚かさを自覚していない人々である。
 主人公の映画監督ミゲルは推定70歳だから、1950年頃の生まれである。フランコ独裁時代に青春を過ごした訳だ。スペインが民主的な政治を取り戻すのはフランコが死んでから更に数年が必要で、ミゲルが30歳くらいのことだろう。それより若い頃のことは出てこない。思い出したくないに違いない。

 政治が変われば社会も変わる。人間の本質はあまり変わらないが、行動は変わる。しかしミゲルの魂は子供の頃のフランコ政権時代にある。魂が、無意識の領域に断片的な記憶や情緒や思索のカオスとして存在しつづけるとすれば、ミゲルの映画監督としての魂が撮影したかったものは、不条理な存在として生き続けている自分自身だろう。劇中劇の映画「別れのまなざし」がまさにそんな感じだった。

 映画が監督や俳優の魂を救うことができるのか。それとも海で溺れて沈んでしまうのか。ビクトル・エリセ監督の静かな悲しみが、物語に通底している。しかし同時に人の優しさも描く。人と人とは分かりあえないが、いたわりあうことはできる。悲しく生きながら、優しくあること。フランコ独裁の時代に青春を過ごしたが、魂は汚れていなかった。政治は個人の心にまでは及ばないのだ。
耶馬英彦

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