bluetokyo

瞳をとじてのbluetokyoのレビュー・感想・評価

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.1
とにかく、雨のシーンがとても多い。それがすごくエモいんだな。フロントガラスの雨滴をワイパーがカシャンカシャンとはじいていくのは本当に物悲しいシーンだ。で、結局、劇中映画、「別れの眼差し」は完成するのだろうか。なんとなく、このまま、永久に未完成な気がする。映画の製作が座礁した原因は、映画監督、ミゲルの親友にして俳優のフリオが撮影途中に失踪したからだけど、フリオの失踪は、映画を座礁させただけではなく、周囲の人びとの人生にも、少なからず大きな影響を与えた。ミゲル自身もその例に漏れず、である。

あの人はいずこへ、みたいなワイドショー番組企画が、フリオを取り上げることになり、ゲストとして、ミゲルが出演したことが、この映画の始まりだ。番組のおかげで、フリオが発見されれば、「別れの眼差し」は、なんとかなるのだろうか。時計の針は、フリオが失踪した時点に戻るのだろうか。

なにか、暗鬱な混沌とした前半部は、ミゲルが、夜行バスで、海辺にある自宅に戻るときに、後半部へと鮮やかに移行する。ここからが、俄然と面白くなる。自宅といってもトレーラーハウスなのだが、やたらと懐いているワンコがいて、近くには、もうじき子どもの生まれそうな若夫婦がいて、トマト畑があって、ミゲルは、漁師とともに、魚を網で捕まえたりもする。
映画が座礁してから、ミゲルは、子どもを事故で失ったり、妻と離婚したり、もちろん、映画は撮っていないが、でも、最近は、落ち着いた生活に辿り着いたようだ。
だからだろうか、ミゲルは、フリオ失踪のテレビ番組が始まったとき、最初の方だけ見て、結局、見るのを止めてしまった。

主要な登場人物が、ほぼ、全員、高齢者というのは、むしろ、すがすがしい。よけいな、たとえば、これからどうしようとか、そういう色気を差し挟む余地がないわけだ。たとえば、後半は、テレビ番組のおかげで、フリオが見つかるわけである。だが、だからといって、新しいなにかが始まるといった風にはなりそうにない。

ちなみに、「別れの眼差し」って、どんな内容の映画なのだろうか。フリオ演じる私立探偵が、行方不明の娘を探し出して、探し主である父親、悲しみの王のもとへ連れ帰るわけだが、その直後、娘の目の前で父親が息絶えてしまう、というストーリーである。

記憶喪失になったフリオは、老人介護施設にいた。といっても収容されているわけではない。住み込みで、ペンキを塗ったり、車椅子を修繕したり、まあ、さまざまな大工仕事を一手に引き受けているわけだ。名前は、ガンデルとなっている。それなりに充実した人生に辿り着いているようなのだ。

最後に、昔の小さな映画館を借り切って、「別れの眼差し」の終わりの部分だけ上映する。フリオ、いまのガンデルは、静かに目を閉じる。いったい、目を閉じたガンデルは、こころのなかでなにを見ているのだろう。
失われ、ぽっかりと空いた記憶の欠落部分を、ゆっくりと映画の追憶が満たしていっているのだろうか。映画は失われた記憶の代わりになりうるのだろうか。
bluetokyo

bluetokyo