デニロ

瞳をとじてのデニロのレビュー・感想・評価

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.0
1947年.パリにある古いお屋敷に男が呼ばれる。呼んだのはこの屋敷の主であるユダヤ系の老富豪。昔愛した中国女に娘ができたのだが、彼女はその娘を連れて出て行ってしまった。わたしの身寄りはその娘だけ。これから先は短い。財産を彼女に与えておきたいし、何よりも彼女に会いたい。永遠の別れの前に娘の無垢なまなざしを見たい。今、14歳の彼女は上海にいることは判っている。彼女を探し出しここに連れてきて欲しい。そんな内容の依頼が古いエキゾチックな写真を交えながら語られる。え、ビクトル・エリセがそんなサスペンスを作るんだ、と驚きながら目で画面を追っていると、そのお話は1990年に本作の主人公ミゲルが監督をしていた未完の映画作品だった。その映画「別れのまなざし」で娘探しを依頼された主人公を演じていた俳優フリオが撮影の途中で失踪する。作品は製作中止。そのまま22年間フリオの行方は杳としてしれない。

2012年。そんな未解決事件を取り扱うテレビ番組にミゲルは協力する。フリオの恋人に会ったり、当時の撮影スタッフに会ったり、フリオの娘アナに会ったり。でも、フリオを語ろうとする彼らの話は彼らの記憶であってフリオではない。22年間不在のフリオの人となりを追い求めて行きながら、ミゲル自身の22年間を確認しているかのような会話が滔々とされる。

すでに映画を撮ることもなく、自称作家として海辺のトレーラーハウスに忠犬と暮らしている。作家と言っても定期的に収入を得られるほど売れているものでもなく、テレビ番組に協力したのも金のためだ。近隣の住民ともうまく付き合えているし貧しいながらも楽しい毎日を送っている。何よりも隣の若夫婦の奥さんテレサ/ロシオ・モリーナが美人でやさしくて言うことなし。みんなで『リオ・ブラボー』の替え歌を歌う。Purple light in the canyons/That's where I long to be/With my three good companions/Just my rifle, pony and me/それでいいじゃないか。

テレビの影響は大きくて、ミゲルに、フリオに似た男はすぐに見付かったとディレクターからの連絡があり、フリオであるか否か確認に行かないかと誘われる。

ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい──。(ポール・ニザン/アデン・アラビア:篠田浩一郎訳)この一節が引用される。わたしもそれこそ二十歳の頃義務の様にして読んだものだ。確かにそれが一番美しい年齢だなんて思いもしなかった。その先は暗く長いと思っていた。ポール・ニザンの言いたいこととは違うことを感じてしまったのかもしれない。人の一生が如何なるものであるかを知った今の年齢でこの言葉に触れると、人生の深遠は名状しがたいものだというしかない。履歴書で10行ほどに記録されるようなものでは決してないのだ。

見つけられたフリオは記憶を喪失していた。ミゲルは、本当の名前を知らせ、昔一緒に海軍にいたことを知らせ、一緒に映画を撮影したことを知らせ、娘アナがいることを知らせるが、いつしかそのこと自体に意味がないのではないかと思えて来た。それらはフリオという男のほんのひと欠片にしか過ぎない。フリオのすべてをアーカイブしているわけじゃない。フリオの氷山を管理しているのはフリオ自身だ。わたしは持っている情報を提供するだけ・・・。

「別れのまなざし」のラストシーンのラッシュプリントを閉館した映画館で上映する。捜索を依頼された娘を上海で探し出した男(フリオ)が、娘を依頼主の老人に引き合わせる。彼女はかつて母親がした扇子を使った仕種で名乗る。わたしの名前はチャオ・シュー。老人は喜びの歌を歌い、娘の化粧を花瓶の水に浸したハンケチで拭い、娘の無垢のまなざしを確かめるようにして娘を見つめ、息を引き取る。娘は老人の瞳をとざし泣き崩れる。撮影が終わり役者がカメラを見つめ、上映は終わる。そして、それを観たフリオも瞳をとじるのです。

ドライヤーが死んだ後は映画で『奇跡』は起こらない。
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