このレビューはネタバレを含みます
ビクトル・エリセ監督作品は今まで観たことなく、公開当時すごく話題になっていたけど見る機会を逸していたいてやっと見れた。最初169分の長さに自分が耐えられるか心配だったけど全然あっという間で、むしろあの長さだから良かったようにも感じたし、あの長さでしか表現できないものがある気がした。
物語は、22年前にミゲル監督作品『別れのまなざし』の撮影最中に失踪した主演俳優で親友のフリオをミゲルが探し出すというのが大まかなあらすじ。22年という過去に囚われていることや時の経過の残酷さ、一方で今を生きる大切さ、その間に出会った人々とのつながりや関係性、時間経過の美しさの両面を淡々と描いていて、長尺だからこそそれが表現されているように個人的に感じた。
また、自己のアイデンティティとは?自分とはなにか?を観ながら自分自身に問い続けていた。フリオは記憶を失って、過去とのつながりがなくなっても、淡々と今を生きている。それってすごく切ないはずなのに、同時に静かな希望も感じられて、自分自身これからのキャリア・人生とかを考えていく中で、自分自身を過去とのつながりで現在を定義しているけど果たしてそれは本当の自分なのだろうか?自分単体になったときに何が残るのだろうか?とか色々考えちゃった。
劇中に出てくる”名前”の持つ意味というのもすごく印象的。名前もアイデンティティを象徴する一つの要素だと思うし、どう呼ばれるか、誰に呼ばれるか、その関係性や環境でどんどん変わっていくし、自分自身のあり方も変わってくる気がする。ある時は”自分”でいれるかもしれないし、ある時は”自分を偽る”事もできる。
“瞳をとじて”とは、もしかして自分自身と向き合う、本当の自分と出会える事ができる行為なのかもしれない。ラストの捉え方は完全に観客に委ねられているけど、私はフリオは自分自身に出会えたのだろうと解釈した。