耶馬英彦

ほつれるの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

ほつれる(2023年製作の映画)
4.0
 こういう物語は、不倫が悪いこととされている国の話だから成立する。フランス映画なら、あり得ない展開だ。他人との距離感が違うのだ。フランス映画では他人はどこまでも他人で、支配するとかされるとかの対象ではない。思い通りにならないことを前提にして、意見を交わしたり、同じ時間を過ごしたり、セックスしたりする。日本に生まれた我々は、浮気や不倫がよくないことだと、理由もわからないまま思い込まされてきた。そもそも色恋沙汰の順番が違う。日本ではセックスがゴールだが、フランス映画ではセックスからはじまる。相性が合わなければ、それでさよならだ。とても合理的である。

 オキシトシンのはたらきなのか、人間は付き合いが深くなると、他人を自分の思い通りにしようとする。それは付き合いの浅い人々への敵対心にも繋がる。家族を支配しようとする人は他の家族に対して、疑いや敵愾心を持つことがある。会社なら競合他社に対する敵愾心を持つことがある。規模が拡大して国家までエスカレートすれば戦争になる。オキシトシンは愛情ホルモンと呼ばれているが、戦争ホルモンでもあるのだ。
 共同体の支配層は、人間のそういう精神性を統治に利用してきた。浮気や不倫は悪いことだというパラダイムを広め、子育てを固定化することで人口を増やし、労働力を確保する。

 社会が成熟すると、そんなパラダイムが支配層によるマインド・コントロールに過ぎないことに多くの人が気づきはじめる。最初から気づいている人もいる。しかしいつまでもパラダイムに縛られて、パターナリズムの態度を崩さない愚かな人々もいる。
 本作品で言えば、田村健太郎が演じた文則がその典型だ。他人を支配しようとして言葉を弄するが、本人の人格がショボいから、誰も言うことを聞いてくれない。真剣に悩んだことも深く考えたこともない人間に、威厳は具わらないのだ。

 日本ではパターナリズムがまだまだ健在だ。古い価値観である。新たな価値観である多様性と平等は、パターナリズムとは絡み合わない。無理に関係しても、ほつれるのが必然だ。新たな価値観の人間が古い価値観の人間に別れを告げる。
 しかし差別と格差の古い価値観もまだ生きている。ほつれるのは夫婦関係だけではない。日本国民全員の関係性がほつれようとしている。すなわち分断だ。現在の日本の精神性を象徴するような作品だった。
耶馬英彦

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