破格のキュートさも含めて片手で涙をぬぐいつつもう片方で握る拳に強く力をこめることで私がカウリスマキへの全幅の信頼を強く示しうるのは、登場する三人の行動その源流にあるのが"相手にやさしくしてもらったから"だったから。きっとそれぞれ本当に嬉しかったんだ。なにひとつ人生がうまくいかなくて、孤独で、もう自分で自分にいらん子のレッテルを貼ろうというその寸前にやさしくしてもらえて、助けてもらえて、すっごく嬉しかったのに違いないのだ。やさしさを与える側は自分が大したことをしたつもりはなかったり、気まぐれによるものだったりするだろう。でも、与えられた側は、そういう嬉しさをずっと忘れない。
この映画が証明せんとする行動原理に対してご都合主義だとかリアリティがないとかいう冷笑を向けていると本当に孤独になってしまう。映画ではたとえスクリーンに映される実際の光景がいかに曇り空だけだとしてもその中に文字通り光をあてることができる。
現実を映しながらにして現実に抵抗するというのが実写のフィクション映画に持たされるべき使命のひとつだと私はたしかめ、すごく励まされる気持ちだった。
あとシンプルに編集がうますぎる。どういうリズム感覚なんだ。