ベルベー

哀れなるものたちのベルベーのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

面白かったけど言うほど感はある。原作があるからなのか、ヨルゴス・ランティモスにしては驚くほどストレート。少し過剰なほどシンプルで台詞の力強めなのは「バービー」にも共通するが、ここまでしないとこっち系のテーマは人々に伝わらないものだろうか。

ビジュアルから真っ先に想起したのは「シザーハンズ」だが、考えてみればどちらも「フランケンシュタイン」の影響下にあるのが明らかなので当たり前か。「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリーといえば今以上に男社会そのものだった19世紀の文壇で奮闘した女性であり、またいわゆる駆け落ちで波紋を呼んだ人物でもある。さらにその父親・ウィリアム・ゴドウィンはアナキズムの先駆者であり、母親・メアリー・ウルストンクラフトはフェミニズムの先駆者と、見事に本作のテーマと合致している。「哀れなるものたち」がメアリー・シェリーへのリスペクト、オマージュであることは恐らく間違いない。

…ということは、多くの方々が既に指摘しているところらしいので個人的に思ったことを付け足すならば、ヴァージニア・ウルフの小説「オーランドー」も本作の下敷きにあるだろうな、ということだ。ウルフもフェミニズムの先駆者と言われている。

男性から女性になってしまうオーランドーという人物の360年間を描いた小説だが…360年!?そうなんです、不思議な小説なんです「オーランドー」。オーランドーの年の取り方と周囲の時の流れが一致していない。この辺り、19世紀なのかSF的近未来なのか判然としない本作の街並み、世界観に反映されてるのかなと思う。

あと何より冒険譚なんだよね「オーランドー」。イギリスから始まりトルコに行ってイギリスに戻って…その中で多くの出会いを経験したオーランドーは自らの価値観を(ついでに性別も)変えていく。元々性に奔放だったのが…その帰結するところは「哀れなるものたち」と正反対なようだが、どちらもフェミニズムということは実は一致していて「哀れなるものたち」は「オーランドー」が提示した幸せの形を押し進めたものと言えるかもしれない。或いは、時代による幸せの形の変容か。

てな感じで引用元が分かりやすい映画だった。ビジュアルも奇天烈っちゃあ奇天烈だけど、観客の嫌悪感を煽るものではなくむしろグロテスクでエロティックだけどファンシー、オシャレって感じだし…クローネンバーグとかリンチじゃなくてティム・バートン。ここは過去のランティモス映画とはっきり異なる箇所では。

あとはそんなに…言うことないんですよね。何故なら台詞が全部説明しているから。解釈を間違えようがないというか、流石にここまでケアされると面白味に欠けるな。「籠の中の乙女」から順を追って分かりやすくなっているランティモスだが、前作あたりが丁度良かったのではないか。

ラストはランティモス炸裂のブラックユーモアなんだが、基本スーパー優等生映画なのでここだけめっちゃ浮いている気がしてならない。優等生の文脈では将軍を処理できなかったから「籠の中の乙女」「ロブスター」のランティモスの文脈で始末をつけたような。そこは上手くないなと思ってしまった。

エマ・ストーンは凄いよ。特殊メイクやCGには一切頼らず、風貌を変えずに赤ん坊が誇り高き人間へと成長していく様を表現しているんだもん。文字通り身体全部を使って表現しているけど、なんなら目元だけで全部分かるくらい、目の表現が見事。ブラピは「ベンジャミン・バトン」で特殊メイクの効果も利用しつつやってたけど、エマは目力でやったね。どっちの方法も好き。

マーク・ラファロとウィレム・デフォーもキッチリ主役を引き立ててくれる。ラファロさん、「はじまりのうた」好きとしては知的なおじさまも良いけどボンクラも似合う人だと知っていたので今回のキャスティングには納得です。本人は「オスカー・アイザックの方が向いてるよ…」と悩んでいたらしいけど…それはそれで失礼な話だぞ!笑 でもオスカー・アイザックでも合うと思う。

あと劇伴のコーラスがシガー・ロスっぽくて好みでした。
ベルベー

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