【籠の外へ囚女】
日本に帰国して久しぶりに劇場へ。振り返ると、ランティモス監督は『籠の中の乙女』以来だ。
物語的には…半分くらいかな、退屈でした。わかっていることを今さら執拗に語られても…と感じる。そもそも、この話で141分は長いよ。平熱でアンテナ張っていても、女性への搾取は皆、感じているはず。
ずっと気になったのは、そもそもの“脳の性別”でした。冒頭、性徴がわかる描写を見逃したか?と後悔したが、それを明示しないのも狙いだったか?まあ、どう考えても、それは男である方が面白いけれど。
本作はジェンダーの前に、胎児の人権に向けカナリ、歪んだ変化球を投げている。そして、本人が納得すればいい…?と締めたようだが、納得しなかったらどうなるの?www これは投げたのか逃げなのか?
基を19世紀らしきとしたのは解りやすい一方、奇抜なヒロインを置いて黒歴史が炙り出されたとしても、それは再現であって冒険ではない。退屈だったのはこの辺りが大きいかな。
シュールな舞台装置から見ればここはパラレルワールドか、ずっと先の遠未来か。ヒロインにはそう見えている、のとは違うと思う。それなら成長と共に、通常の風景に変わるはずだから。
時代や世界が変われど女性は延々、搾取され続ける…と狙った設定なら、この監督らしいよね…黒々と。
ヒロインが自由に進むことは素晴らしい一方、結局は要セックスなんだよね。職を得るにもアレだし…。基の時代設定からはわかるが、何故、現代劇にしなかったんだろう?シュールに逃げないで、現代でもやっぱり囚われて、そこからどんな冒険ができたのか?と想像する方が、ワクワクする。
“股の間のもの”を使わずとも、女性は自由になれるでしょ。
エマ・ストーンは巧いとは思わなかったが、映画に必要なことを堂々演じて素晴らしい。彼女自身は、自分の身体を使って冒険していると思う。そこには共感したので、身勝手な部分も含めて、見続けられた。
マーク・ラファロのクズっぷりも見事だったが、出てきた瞬間、コイツのお陰で退屈になりそう…と先が見えてしまった。実際、イチバン退屈だったのは彼絡み。ホント、既知のことしかやらないよね。
全般、私は堪能まではできませんでしたが、『バービー』同様、マイルストーンとしては大変、価値があると思いました。
<2024.2.10記>