映画男

哀れなるものたちの映画男のレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
2.5
フェミニズムがどうだ、とかエログロとかそういう描写は何も抵抗がないしむしろ好物ですらあるが、どういうわけか興奮しないし、いい意味でも悪い意味でも嫌悪感がなく、あっけらかんと性器や乳房が映し出されて、むしろなんだかサッパリした映画だなという印象。で、そんなに良い映画ともおもえなかった。そもそもこの監督は奇をてらった作品にする以上のことを演出で求めていなかったような気がする。貧しい人々をみて号泣するベラ、財産を失いベラに見捨てられて、荒れ狂うおじさん、ベラに振り回させる助手の男、そんな彼らの芝居というか身振りは典型的舞台的で、あまりにもオーソドックスだった。監督は登場人物の心理や表情の変化なんてむしろクソ喰らえとおもっているのかもしれない。ベラの歩行の変化や言葉遣いから見える成長、そういった物語を成立させるために欠かせない芝居にだけは注力を注いでいるように見受けられる。そういうスタンスは別に良いとおもう。特異な世界観、物語を成立させるためにはメソッド的な芝居はむしろ足かせになったかもしれないし。であれば、この特異な物語を成立させることで、監督は何を見せたかったのか。これがわからん。先にも述べたように、奇をてらいたかっただけじゃないかという気がしてならない。それにエマストーンが賛同して乗っかったと。ビジネス的にもキャリア的にも美味しい作品になると、打算したうえでの演技だったんじゃないか。少なくともエマストーンの芝居には大胆なことをしているという点で感心はするが、心動かされるような場面は一つもなかった。

昔の日本映画をやや強引に引き合いに出して、人物描写やエロについて比較させていただくならば、ぎこちないよちよち歩きをするベラが、社交場で全身を音楽に身を委ねて踊るさまは、「㊙︎色情めす市場」で白痴の青年が鶏を引きずって通天閣を登るシーンには到底及ばないし、性の快楽に目覚めたベラが騎乗位で喜びを爆発させる(あまりにも尺が長いシーン)は芹明香が演じる濡れ場の足元にも及ばない。この違いは何や。本作は結局のところよくできたフィクションで、「㊙︎〜」は生身の人間がフィクションの壁を飛び越えて現実すらねじ伏せる熱量があった。ここでは世界観の違いやCGの多用とかは問題ではない。芹明香は人間性をもってシナリオの枠を飛び越えた。エマストーンはただシナリオで書かれた人物像を忠実にこなした。それ以上のことは(知らんけど)当人も求めてないし、監督に求められなかった。この違いは非常にでかいとおもう。

しかしまあこうやってどういう映画だったのか考えさせられる点で「哀れなるものたち」は刺激的で、魅力的な作品であるのは間違いない。演出についても実は見落としている点があるのかもしれない。あるいはおれの価値観が長年放置された塩みたいにカチカチに凝り固まっているのかもしれない。本当はすっげえ感動できる作品なのかもしれない。とにかくおれは単純にそこまでベラに夢中になれなかった。これに尽きる。
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