ムテモン

リヴァース・アングル ニューヨークからの手紙のムテモンのネタバレレビュー・内容・結末

4.1

このレビューはネタバレを含みます

①セイム・プレイヤー・シューツ・アゲイン(1967)/②シルヴァー・シティー・リヴィジテッド(1968)に続けて鑑賞

ヴェンダースという作家をそもそもよく知らなかった(昔仲間うちでよく話題に出てたけど興味が湧かず、パリ・テキサスとベルリン天使の詩しか観てない)けど、こんな原理主義的で律儀な人だったんだ。

①は失われた1作目の短編(ギャング映画?)の一部をラディカルに再編集したらしい。題の通り特定のカットが色味を変えて延々と繰り返される。
②は同時暮らしていたミュンヘンの景色及び部屋(自室?)のテレビ、写真などを映した映像群。
今回は渋谷哲也さんの解説があったからこの作品でのヴェンダースの独白と合わせて企図するところが答え合わせできたから良かった。①②で”映像”に魅了されちゃった若き日のヴェンダースを想起した。烏滸がましいけど正直気持ちはわかります。

今作について。トークで言及されていたけど、日記映画として企画されながらパーソナル≒プライベートではあり得ないように緻密に律儀に作られている。
また翻って(リヴァース)、ハリウッドの広告的価値観も批判する。
2点の両立においてピックアップするならば、窓辺に佇む女性(恐らく用意した)を映して注釈を挟む場面がわかりやすい。映画原理は用意された他者にあると言わんばかり。

今作の構成を振り返る。
初めはヴェンダース撮影の映像。わざわざ作品自体を「まるで映画の最初のような」カットから始め、「(劇)映画ではこの後に主人公の顔が映し出されるだろう。やんないけどね。やんないから意味あるんだけどね」とモノローグが入る。続いてニューヨークの街並みを撮るが、必ずカットの最後にカメラを見つめる人々の顔が映りまた律儀にも「彼らが『お前は何がしたいんだ』と訴えかける。映像が敵に回る」的なことを独白する。
中盤になると翻って(リヴァース・アングル)、『ハメット』製作中のヴェンダース自身が映し出される。この工場のような制作体制はやだなぁって独白でずっとぼやいてるけど仕事を続けている(コッポラもここで登場)。これも自身を被写体として突き放す試みなんだと思う。
やっぱり律儀。自己憐憫にも転がらないように、でも広告にもならないように。緻密な綱渡りの連続なんだろうと感じた。

ヴェンダースは作品数が多くて、かつ試みがそれぞれ違うだろうから手を出しにくいけど、それは彼自身の複雑なアイデンティティの表れなんだと思ったら見方が変わった…かもしれない。『PERFECT DAYS』は観たいけど、過去作は何から手をつければいいのやら。
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