耶馬英彦

ラ・メゾン 小説家と娼婦の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

ラ・メゾン 小説家と娼婦(2022年製作の映画)
4.0
 哲学的であり、蠱惑的な作品だ。とても面白かった。

 秘密は、他人に告げた瞬間から秘密でなくなる。死ぬまで秘密にしておきたければ、一生誰にも言わないことだ。人に話すのは、秘密にしておけないというよりも、共感を得たいからで、本当に秘密にしておきたいことは、共感など必要としない。死ぬまで誰にも喋らないことは、誰でもひとつやふたつはあるだろう。人類を殲滅させる妄想などは、話したら最後、頭がおかしいと思われるから、絶対に人に言えない。セックスの性癖なども、特別なセフレができたら話すかもしれないが、そうでなければ一生、他人には話せない。
 しかし小説家は小説の中で、誰にも話せない秘密を、登場人物の口を借りて吐露させる。その秘密というのが、人間の心の闇を炙り出すとき、その小説は優れた小説となって、皆に読まれる。小説家は身を削って書いているから、褒められても苦しいし、貶されると自分の存在が否定されたように思う。

 本作品のエマは、自分が娼婦を体験中の小説家であることを、作品中で少なくとも3人に話す。もはや秘密ではない。それは必ず小説を書き上げる覚悟の現れでもある。他人に話すことで自分を追い込むのだ。小説を書く作業は、とても苦しいことだから、自分を追い込む必要がある訳だ。
 人間は年がら年中発情している動物だが、セックスは他人との共同作業だから、はじめるには交渉が必要だ。手っ取り早く性行為をしたい人も多いだろう。売春婦が世界最古の職業だと言われるのも頷ける。
 世界中に売春やそれに類する商売がある。日本ではソープが売春の主流で、高級店になると、ソープ嬢はみんなピルを飲んでいて、生の中出しの店もある。ピル休暇の取得が必須になっているなど、ソープ嬢の健康管理はしっかりしていて、必ずしもハードワークとは限らない。廉価店は、高級店に比べると労働環境は劣ると思う。

 本作品のラ・メゾンは、多分公認の管理売春施設だ。ドイツでは売春が合法なのである。当局の摘発を恐れずに仕事ができる点は、日本とは随分と異なる。しかし売春が合法だからといって、娼婦の立場が向上したかというと、それはそうでもないようだ。
 世の中のパラダイムは、依然として売春には否定的である。フランス人はセックスにはおおらかで、付き合うかどうか、セックスしてから決めるという人もいる。ちなみに、フレンチキスという言葉は、舌を絡め合い唾液を飲み合う濃厚なキスのことだが、日本では軽いキスのことみたいに誤解されている。本作品でエマが彼氏と交わしたのがフレンチ・キスだ。
 同じフランス人であるエマの妹は、売春には悪いイメージを持っているようで、姉の体験について否定的だ。妹はまだ自分で深く物事を考えたことがない。哲学がないのだ。だから世間のパラダイムで姉のことを断じてしまう。

 売春は、何を売っているのか、何を消耗するのか、そして、何を失うのか。セックスは人間に何をもたらすのか。卑近で日常的なテーマではあるが、同時に哲学的でもある。小説家のエマが、売春婦を体験したいと思うのは、ある意味、当然の話である。この体験を経て、エマがどんな小説を書いたのか、とても気になるが、それは本作品とは別の話だ。

 余談だが、エマの彼氏が作っていた「ブランケット・ド・ヴォー」というフランス料理は、仔牛のクリーム煮である。仔牛肉は高級品だから、滅多に食べることはないが、鶏のクリーム煮の「ブランケット・ド・プーレ」なら、フレンチ店のランチでたまに食べることがある。繊細だが簡単で美味しい料理なので、当方もときどき自宅で作っている。
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