おどろきの白鳥

月のおどろきの白鳥のネタバレレビュー・内容・結末

(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

『舟を編む』の石井裕也監督だけあって、間や演技力を使い、セリフ過多にしない演出はよかったです。
役者陣の演技も素晴らしかった。
しかし、複雑かついろんな感情が同時に芽生える、異様な作品でした。

まだ関係者の記憶も生々しい今の段階で、(時代を切り取る意図の)小説はともかく、目に見える「映像作品(映画)にするなよ」という否定的な気持ちと。
「テレビじゃ踏み込めない心情表現をここまで踏み込んだ」上で、問題提起したことに対する賞賛に似た気持ちと。
(さらに、後述しますが、なんだか気持ちを弄ばれたような不快感も)

まず否定的に感じた要素として、いくら創作小説を原作にしたとはいえ、題材は露骨に2016年の「相模原障害者施設やまゆり園殺傷事件」です。
なにしろ作中の犯行日時が、実際の事件と同じ2016年7月26日未明ですから。
犯人の愛称が、実際の犯人の名をもじったものですし。

ナチスは悪と言いながら、優生思想そのものの犯人の思考。
社会的生産性を有さず、自らの意思を他人に伝達する能力がない障害者を、独善的かつ主観のみで生かしていいか、心があるか、と決めつけ選別し、「効率的」に処理する。
その異常さを見せつけられて、胸糞が悪かった。

一方で、誰の心の中にも、無意識に差別的な意識は存在するので、その心のありようや生き方を選ぶのは自分自身なんだということを見せることは社会のためにも必要で。
原作小説は、身体を目ひとつ動かせない入所者「きーちゃん」と、犯人の一人称で、「心があるって何なのか」を問うような内容なのだが…映画だとモノローグだらけで映像に向かないので、元作家の洋子(宮沢りえ)を設定していました。
このキャラの内面を描くことで、犯人の心理を肯定する気持ちと、許さない・許されないという気持ちの両方が誰にでもあると見せたのは、大いに意義はあると思いもしました。
特にラスト近く、洋子の自問自答のシーン(宮沢りえの演技)は圧巻でありました。

同時に障害者施設の職員たちがいかに心を病んでいくかを描写していて、社会そのもの(および国の在り方)に病理の根源があることを指摘していたのは重要。
とはいえ、(追い詰められているのはわかるが)職員たちが入所者たちへ虐待を恒常的に行うのは、ある意味仕方なく、悪者のように描くと受け取れもしました。
こんなに忍耐とプロ意識が必要な、精神的にきつい仕事に、非正規雇用のパートをあて、正規雇用でも月手取り17万程度の低賃金、だれからも感謝されず、家族も見舞いに来ないで評価もされない……
というご指摘はごもっともではあるが。
それは全国の同様の施設に勤務する人々に対する侮辱ではないのかとも感じ、腹が立ちました。
この点が最も手放しで褒められず、私の中にはこの作品を否定したい気持ちが生まれた原因だと思いました。

そのほかに、不快感を生んだ正体はいくつか心当たりが。
自分の中の差別意識へスポットライトをあてられたからかもしれませんし。
もしくは、こんな気持ちが制作側の掌で転がされたから生まれた気もして、作り手側の「俺たち頭いいんだぜ」みたいな癇に障るこざかしさを感じ取れてしまったのかもしれない(これは故・河村光庸氏の企画・プロデュース作全部から匂ってくる共通点ではあります)……と冷静に分析してはいますが。

なんかこう、一言で言い表せません。
あえてまとめるなら「モヤモヤ」。