Montagne

月のMontagneのレビュー・感想・評価

(2023年製作の映画)
2.0
この作品には間違いなく、作り手の「誠実な態度」が向けられているのだろうとは思う。
その点についての疑いはなく、スタッフと俳優の頑張りは認められなければならない。
だが、本作は映画の構造そのものによって「誠実な態度」を挫いてしまっている、あるいは作品としての広がりを狭めてしまっている。
作品後半に置かれている宮沢りえと磯村勇斗の対話は明らかに重要なものであるが、その場面以前の作品前半部分における4人のやりとりや脇役の発する台詞などは極めて説明的かつ表層的なものであり、同じ人物が書いたものとは思えない程度に質の落差がある。
恐らく、こうした場面ごとの質のバラつきは娯楽作品であり、TVドラマや大作しか見ない我々のような弛緩した一般の観客向けの配慮に由来するのだと思うのだが、そのような配慮という名の説明過多かつ紋切型の表現は明らかに観客の興を削ぐことにしか作用していないのではないだろうか。
美術の作りこみや人物の衣装のリアリティの持たせ方への執着は凄まじいのにも関わらず、日常のシーンでの各人物の仰々しさと書き割りのような台詞、定型的なイメージのシークエンスが続くという構造にもなっており、非常に戯画的な作品になってしまっているように感じられた(そして、それは監督が本来意図しているものではなかったと思う)。
また、作品の舞台となっている施設は実際に石井監督が取材をするなかで目にした劣悪な環境を反映したものとなっているようであり、例の事件が起こった施設とも、今回の撮影で協力を得られた施設の実情でもないのだという。
この舞台設定のデフォルメ化は作品が差し出そうとしているものと観客の距離を遠ざける方向に作用しているだけでなく、この作品を二元論の狭い部分に押し込んでしまっているように感じられる。
即ち、綺麗ごとVS露悪的な「現実」という中学生でも思いつく二項対立の世界である。
明らかに劣悪な環境ではない、私たちの日常と隣り合わせの所に存在するからこそ差別は根深いのであるが、そのことが作品からは抜け落ちていないだろうか。
そして、今回の作品には実際に障害のある方が多数出演されているが、その都合の良い扱われ方についても議論がなされるべきである。
作中の外部性の無さや宣伝コメントの人選など指摘されるべき課題は多い。
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