OASIS

月のOASISのネタバレレビュー・内容・結末

(2023年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

神奈川県相模原市の津久井やまゆり園で起こった植松聖死刑囚による障害者19名が死亡した事件に着想を得た原作の映画化。

いつか誰かが映像化、映画化して真実を届ける必要のある事件ではあると思う。
植松聖死刑囚は映画の中のさとくんが言っていたことと同じく、重度心身障害者の人達を「生産性がない」「ヒトではない」と散々自分に言い聞かせるように言っていたという。
果たして「重度心身障害者だからといって生産性がなくてはいけないのか、ヒトはヒトでしょ」と完全に否定することはできるのだろうか?
当然そうだろうと言える人は、手取り17万円で毎日毎日同じことをする経験が無いからだろう。
もちろん、自分で選んだ職業でしょうにという意見もあるが、そんなの一旦施設の中に入ってみないと分からないことだよね。
実際のやまゆり園は映画の中の映像がマイルドに見えるほど、天井まで便がついていたりと過酷な現場だったらしい。
映像にして映せる=まだ見せていいレベルだということで、映せないレベルとはどういうものなのか、それは想像にかたくない。
 
植松聖=さとくんは初めから思想を持っていた訳ではなく、それはそれは純粋な子だったという。
絵が好きで、人懐っこかったと。
そんな彼が変わったのは障害者との関わりではなくて、それをヒトとして見ない他の同僚たち、ひいては施設全体の思想である。
純粋が故に「無駄なモノは排除したらいいんだよ」という先輩達の言葉を真に受けて、本当にそれが正しいという考えに囚われてしまったからだろう。 
真面目だからこそ、純粋だからこそ、施設全体の空気に呑み込まれて朱に交われば赤くなるように彼の思想が上書きされてしまったと。 

「真面目に考えるとしんどくなる」と同僚達が言っていたように、人としてまじめに人のことを思うことが良しとされる職業なのにそれと真逆のことを求められるというこの矛盾は心身障害者だけに関わらず高齢者介護、看護にも言えることだろう。 
この矛盾の辛さを介護医療福祉関係の人達は日々感じているのだと発信してくれたことだけでも素晴らしいと思う。

部屋が糞尿まみれになっていたり、奇異行動を臭いものに蓋をすることなくそのまま描こうとする石井裕也監督の姿勢には物凄く好感が持てた。
人の為になる仕事、介護は素晴らしい、という言葉では到底語ることのできない、見せなければならないのにできれば見せたくないものがそこにあるという事実。
それに向き合ってこそ真摯さが現れるというもの。
そこに妥協が無くて良かったと思う。
その反面、さとくんが主人公だと思っていたらそうではなく、宮沢りえとオダギリジョー夫妻のエピソードに割かれている部分が多くて、肝心のさとくんの主張が綺麗事で上書きされてしまうように感じるところもあった。
「 お前とは違う」「あなたのことは認めない」と夫妻は執拗にさとくんのことを否定していたが、そこは「そういう考えもあるかもしれない」と形だけでも共感を示してくれないと、誰でも植松聖になってしまう社会がそこにある、というメッセージが薄れてしまっていた。
そこを健常者に問いかけるのが本質ではないのだろうか?
夫婦の存在を加えてしまったことでせっかくの魂からの主張にノイズが入ってしまったように感じたが、事実を伝えようとする姿勢は伝わってくる現実の重みを感じる映画ではあったと思う。

あと、一番謎なのは二階堂ふみがWineを飲むシーンでグラスにいきなりズームするシーン。
見終わった後も、主で伝えようとしていたことよりもそこの意味を一番考えてしまったので確実にノイズだった。
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