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ボブ・マーリー:ONE LOVEのtanayukiのレビュー・感想・評価

ボブ・マーリー:ONE LOVE(2024年製作の映画)
3.8
レゲエもボブ・マーリーもまったく経ないでこの年まできてしまった自分にとって(以前はジャズばかり聴いてた)、ラスタファリという謎の呪文も、神格化された皇帝ハイレ・セラシエ1世も完全に未知の世界で、なんのことかちんぷんかんぷんだったので、家に帰ってから調べてみた。

ジャズやブルースの世界でも黒人のアフリカ回帰願望というか、アフリカとのつながりを強く意識した動きは昔からあって、戦後アフリカ諸国が次々と独立を果たした「アフリカの年(1960年)」に刺激され、北米で公民権運動が盛り上がったときも、ジャズ界隈ではマックス・ローチの『We Insist!』のようなプロテストミュージックが生まれている。ジャマイカで生まれたラスタファリも、黒人が自分たちのルーツであるアフリカ、なかでも列強の支配がアフリカ大陸全体を覆ったアフリカ分割の時代においても、侵攻してきたイタリア軍を撃破し、唯一独立を維持した黒人国家エチオピア帝国を「約束の地」として神聖視し、エチオピア最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世を「黒人の救世主」とみなすある種の信仰のようなもので、ラスタファリの精神と政治的メッセージを歌い上げたボブ・マーリーのレゲエミュージックは、いってみれば、アメリカにおけるゴスペルミュージックのような宗教的色彩の濃い音楽らしい。(そんなことすら、知らなかったのです)

(ちなみに、アフリカ大陸にはもう1つ、植民地ではないリベリア共和国もあったが、こちらはアメリカの黒人奴隷をアメリカの植民地に送り返して建国したという別の事情があり、武力によって西欧列強に屈しなかったのは、エチオピアだけだった。アフリカ人や、アフリカにルーツを持つ黒人(アフリカ系ディアスポラ)にとって、エチオピアは希望の星だったわけ。第二次世界大戦前、一時的にファシスト・イタリアに占領された(イタリア領東アフリカ帝国)ものの、東アフリカ戦線の激闘を経て、イギリスによって解放されたエチオピアに凱旋帰国したハイレ・セラシエ1世は、帝国最後の皇帝であるだけでなく、アフリカ統一機構(OAU)の設立に尽力し、初代議長に就任した黒人世界のスーパーヒーローで、現代の感覚でいうと、アパルトヘイト政策を終わらせ、黒人のみならず世界的なヒーローの座に上り詰めたネルソン・マンデラのような人だったのかもしれない。現在のアフリカ連合(AU)の本部がエチオピアの首都アディスアベバにあるのはそのためで、アディスアベバが「アフリカの政治的な首都」と呼ばれるのも、黒人世界におけるエチオピア独特の地位を物語っている。)

世界中に離散したアフリカ系ディアスポラの祖国アフリカに寄せる思いには、やはり特別なものがあるようで、素朴に、純粋に、ハイレ・セラシエ1世を現人神のように敬い、ラスタファリの精神を高らかに歌いあげるボブ・マーリーの音楽が人々に広く受け入れられたのは、世界中に散らばった黒人たちの母なる大地に対する憧憬というか、ある種のノスタルジーのような感情があったからかもしれない。

(ただ、冷静に考えると、軍事クーデターによって1974年にハイレ・セラシエ1世が退位させられるまで、エチオピアはあくまで中央集権的な「帝国」であり、皇帝はその「独裁者」だったわけで、いにしえのエジプトのファラオとまではいかなくても、絶対権力者を救世主に祭り上げて盲目的に信じることにあやういものを感じてしまうのは、自分だけではないと思う。)

ボブ・マーリーはたしかにジャマイカの英雄なんだけど、ラスタファリ自体は少数派で(多く見積もっても人口の5〜10%程度)、国民の大多数はプロテスタント諸派を信じているという。だからこそ、彼は多数派(を二分する二大政党の支持者たち)から命を狙われ、一時的にヨーロッパに身を寄せることになったのだけど、そのことがかえって彼の(ジャマイカ国外の)人気に火をつけ、世界的なメジャーアーティストの地位に押し上げたというのだから、人生、なにがどう転ぶかわからない。物語のラスト近くで、病を押してアフリカツアーをなんとしてでも実現するんだと意気込むボブ・マーリーの姿が描かれるが、それは、黒人にとっての「約束の地」に帰るというラスタファリの教えそのものだったから。それを知ってはじめて、死の前年の1980年にジンバブエ独立記念コンサートで公演したこと、また、その2年前にあこがれのアディスアベバでも公演を果たしたことの意味を、かみしめることができる。おかえり、ボブ。

△2024/05/21 109シネマズ二子玉川で鑑賞。スコア3.8
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